寺社一般のカテゴリ記事一覧

霊場巡り旅ブログの旧ブログです。2018年5月上旬までの記事があります。

カテゴリ:寺社一般

  • 2018/03/13寺社一般

    浅草寺誌3月号の「春のしるし」より。稲垣栄洋さんの「雑草はなぜそこに生えているのか」という本には多くの名言があります。その一つを引用します。理科の教科書には、先人たちの研究の積み重ねによって明らかにされたことが書いてある。教科書は分かっていることだけが書いてあるので、教科書だけ読むと、世の中のことは全て明らかになっているような気がしてしまう。しかし本当は、世の中には分かっていないことがたくさんある...

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  • 2018/03/09寺社一般

    今日、インターネットで調べ物をしていると、1001体の観音立像、国宝に 京都・三十三間堂という記事が目に飛び込んできました。文化審議会(馬渕明子会長)は9日、三十三間堂(京都市東山区)の1001体に及ぶ千手観音立像を重要文化財から国宝に格上げするよう、林芳正文部科学相に答申した。千手観音像は、平安時代後期の創建時(1164年)の124体と、鎌倉時代の焼失後に制作された観音像などから成る大群像。19...

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  • 2018/03/08寺社一般

    大観音寺寺報No.91より。仏教の根本思想は「縁起」です。生と死も縁起の関係にありますので、別個に独立して存在するものではありません。生に縁って、死が起こり、死に縁って、生が起こります。つまり、生と死は、紙の裏と表のように、二つで一つの事象で、分けられません。死にきるためには生ききることが必要であり、生ききることでしか、死にきることはできないとなります。造花を美しいと思わないのはなぜでしょうか。枯れな...

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教科書とその外側

浅草寺誌3月号の「春のしるし」より。

稲垣栄洋さんの「雑草はなぜそこに生えているのか」という本には多くの名言があります。その一つを引用します。

理科の教科書には、先人たちの研究の積み重ねによって明らかにされたことが書いてある。教科書は分かっていることだけが書いてあるので、教科書だけ読むと、世の中のことは全て明らかになっているような気がしてしまう。しかし本当は、世の中には分かっていないことがたくさんある。分からないことだらけなのだ。分からないことが分かったときの喜びが理科の醍醐味であるならば、実は、理科の教科書の外側の部分にこそ、面白さがあるのである。教科書で勉強することはつまらないことに思えるかもしれない。しかし、教科書の外側の部分は、教科書を勉強することによって初めてみえてくるものなのだ。


これは必ずしも理科の勉強だけに限った話ではなく、人生の全てに通じる問題なのではないでしょうか。教科書をしっかり学び、更に私たちが相手にする現実の出来事は教科書には書かれていない多くの事情が縦横につながったものとして眼の前に現れていることをわきまえなければいけないのです。
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三十三間堂の千体の千手観音立像が国宝に

今日、インターネットで調べ物をしていると、
1001体の観音立像、国宝に 京都・三十三間堂
という記事が目に飛び込んできました。

文化審議会(馬渕明子会長)は9日、三十三間堂(京都市東山区)の1001体に及ぶ千手観音立像を重要文化財から国宝に格上げするよう、林芳正文部科学相に答申した。千手観音像は、平安時代後期の創建時(1164年)の124体と、鎌倉時代の焼失後に制作された観音像などから成る大群像。1973年度に始まった全観音像の保存修理は、重文の彫刻1件の修理として過去最長を記録。45年間に及ぶ作業が昨年末に終了したのを機に国宝にするよう求めた。


正直、もうとっくに国宝になっているのかと思っていましたが、
(国宝)中尊の丈六の千手観音坐像、風神・雷神、二十八部衆
(重要文化財)千体の千手観音立像
とのことです。

国宝になる記念に何かイベントをやって欲しいですね。
江戸時代、東京にも三十三間堂があったので、東京国立博物館で三十三間堂の堂内を再現して欲しいです。また、京都に訪れることが出来ない人もいますので、日本各地でイベントを開催し、一人でも多くの人に観音立像を拝観して欲しいとも思います。
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仏教の根本思想は「縁起」

大観音寺寺報No.91より。
仏教の根本思想は「縁起」です。生と死も縁起の関係にありますので、別個に独立して存在するものではありません。生に縁って、死が起こり、死に縁って、生が起こります。つまり、生と死は、紙の裏と表のように、二つで一つの事象で、分けられません。死にきるためには生ききることが必要であり、生ききることでしか、死にきることはできないとなります。

造花を美しいと思わないのはなぜでしょうか。枯れないからです。枯れないので、その花の美しさは今しかない、という感動にならないのでしょう。桜が年中咲いていたら、きっと味気ないでしょう。人間も死ぬからこそ生きている今というこの瞬間がかけがえのないものとなります。ですから、後悔しないように、人は努力し、また努力することに意味をも見出していきます。

法然上人は、人間として生まれてきたこと、そして仏の教えに出会えたことに感謝しています。現状を当たり前と考える人間には、感謝の念は起こらないでしょうし、今を充実させて生きようとする動機づけも持てないことでしょう。
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