三十三間堂の近くにある養源院は淀君が父である浅井長政の供養の為に建立したお寺です。戦国時代好きとしては寺社巡りに興味をもつ以前から知っているお寺であり、訪れたいお寺でもありましたが、今年の冬の特別公開に合わせて訪れることとしました。

山門から境内に入ると、右側に弁財天を祀るお社、少し先の左側に毘沙門天を祀るお社がありました。更に先を進むと拝観受付があり、拝観料600円を払って、堂内に入ります。こちらのお堂は伏見城の建物を移築したものです。

鴬張りの廊下を歩き、まずは扉に描かれた俵屋宗達の白象図を鑑賞。入口に近い扉には同じく俵屋宗達の麒麟が描かれていました。

奥の部屋には伏見城で太閤秀吉が拝んでいた歓喜天が祀られているそうです。秀吉といえば、高台寺の大黒天、出世稲荷神社や満足稲荷神社の稲荷明神、そして歓喜天とご利益に定評のある仏様を特に拝んでいたのでしょうか。

中央の部屋には、ご本尊である阿弥陀如来像が祀られており、浅井長政や江の位牌もありました。脇のふすまには、俵屋宗達の松が描かれていました。こちらの部屋は豊臣秀吉が大名と話をした部屋だそうです。

そして、血天井の説明に。徳川家康は上杉景勝を征伐する為に会津に向かいましたが、家康が畿内からいなくなった隙を付き、石田三成ら西軍は兵を挙げ、徳川家臣である鳥居元忠が守る伏見城を攻めました。果敢に戦った元忠でしたが、多勢に無勢、最後は384人の部下と共に切腹して果てました。その時、元忠は62歳でした。

伏見城の戦いから関ヶ原の戦いで家康が勝ち、伏見城に入るまで、切腹した死体はそのままに放置されていました。その為、洗っても血の跡がとれなくなりました。

養源院では、鳥居元忠らの霊を弔う為に切腹した廊下の板の間を天井として使っています。鳥居元忠が切腹した跡などの説明がありました。

手前の部屋には、淀君、江、豊臣秀頼の画、秀吉の木像などが展示してありました。そこから奥の部屋には、地蔵菩薩、如意輪観音、阿弥陀如来像が安置されていました。

堂内の拝観が終わった後、境内にあるお市の方の供養塔、お江の方の石塔墓にお参りしました。

養源院は普段はそれほど人が訪れないでしょうが、大河ドラマの影響か、たくさんの参拝者が訪れていました。


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