11月6日は午前中に金沢文庫で月例講座「仏像のみかたII」を聴講し、午後は鎌倉に移動して、鎌倉生涯学習センターで講演会「十二神将像のひみつ」を聴講するという、聴講ディーでした。今回の記事では金沢文庫での話を書きます。

タイトルが「仏像のみかたII」とあるように今回は二回目で、一回目は顕教、今回は密教の話でした。密教の仏像として、今回の展覧会では展示していませんが「大威徳明王」、そして、「厨子入愛染明王坐像」、「厨子入弥勒菩薩坐像」が取り上げられました。

大威徳明王像は、よく知られているように運慶が造った像です。密教の仏像の基は東寺の講堂にある立体曼荼羅だそうです。運慶は東大寺・南大門の仁王像を造ったことで有名になったと思いがちですが、講堂の仏像を修復したことにより、仏師としての名声を得たそうです。運慶は講堂の仏像を修復する際にそれらの仏像を勉強し、自身の仏像に反映させたそうです。

現在の東寺・金堂の仏像は、半分ぐらいが室町・江戸時代の補われたもの(金ピカのものがそう)で、大日如来像もその一つです。元々の大日如来像としては、栃木県の光得寺の像がかなり近いものと考えられているそうです。光得寺の大日如来像は運慶作ではないかと考えられていますので、運慶が東寺・講堂の仏像の影響を強く受けていることが分かります。

運慶作である滝山寺の帝釈天像と講堂の帝釈天像を画像で比較しましたが、立像と坐像という違いはありますが、確かに上半身は似ていると思いました。よって、金沢文庫で保管している大威徳明王像も講堂の大威徳明王像を参考にして造ったであろうと考えられるそうです。大威徳明王像の裏は赤く塗られており、長年、何故、赤く塗られているか疑問だったそうです。そのような時、東寺・講堂の不動明王像の裏が同じように赤く塗られていることが分かり、ここでも、運慶仏と講堂の仏像の強いつながりが確認できるのだそうです。

厨子入愛染明王像に関しては、鎌倉地方の愛染明王像には根本像があり、それを基にして、造られているそうです。その根本像は、五島美術館が所有している、かって、鶴岡八幡宮寺で祀られていた愛染明王像です。

それらの特徴として、足にかかった衣にフリル状のものがあるそうです。講演が終わった後に厨子入愛染明王像を拝観しましたが、フリルがあるようなないような気がして、よく分かりませんでした。是非、「鎌倉地方の愛染明王展」を開催してもらい、見比べたいです。

厨子入弥勒菩薩坐像には、納品物として、東寺御舎利と書かれた紙に包まれた仏舎利と宀一山(べんいちさん)と書かれた書かれた紙に包まれた仏舎利が納められています。

弘法大師空海は中国から仏舎利を持って帰ったと信じられており、東寺は色々なところにその仏舎利をあげたそうです。また、宀一山、つまり、室生寺に弘法大師が仏舎利を埋めたという伝説があり、実際に二回、掘り出されたそうです。二回目は律宗の人が掘ったので、律宗のお寺である称名寺の仏像に納められたのではないかと考えられるそうです。室生寺の仏舎利は「国難の時に掘り出し、拝めば、国難に対処できる」と言われていたそうで、蒙古襲来の時に掘られたのではないかとも考えられるそうです。

今回の話も興味深い内容で、あっという間に時間が過ぎた感じがしました。
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