入ってすぐの部屋には辻薬師堂の薬師三尊像と十二神将像が安置されていました。これは今回の展示が辻薬師堂の仏像の修理完成を記念して行われているからです。
薬師如来像は平安時代作、十二神将像は八体が鎌倉、四体が江戸時代の作で、修理には十四年かかり、今年の三月に終了したそうです。全部で十五体になりますので、十四年という長い期間が必要だったのかなと思いました。
鎌倉地方の十二神将像にしか見られない特徴があるそうで、それは十二神将像は普通は炎髪か甲をかぶっていますが、鎌倉地方の戌神(バサラ大将)は髪型が巻き毛になっている点です。運慶作の薬師如来像を祀っていた大倉薬師堂が鎌倉地方の十二神将像に影響を及ぼしているので、運慶の作った戌神は巻き毛だったのかなと思いました。
大倉薬師堂が作られる以前の仏像として、藤沢市にある養命寺の薬師如来像が安置されていました。最初は気づきませんでしたが、今年の四月十二日の御開帳でお会いした薬師如来像です。十二年に一度だけ御開帳かと思っていましたが、そうではないようです。
横浜市にある東漸寺の薬師如来像も安置されており、運慶の壮年期の特徴などが像に見られ、運慶の仏像から影響を受けていることが分かるそうです。
鎌倉時代初期の十二神将像としては、興福寺、浄瑠璃寺の像が知られていますが、関東では横須賀市の曹源寺に像があり、展示されていました。曹源寺の十二神将像の特徴は髷(まげ)を結った像があることです。髷を結うのは四天王像ではよくありますが、十二神将像では珍しいそうです。こういう話を聞くとこれから十二神将像を拝観する時、頭に注目がいきますね。
曹源寺の像の中では、巳神が武将のような凛々しいお姿で、浄楽寺や願成就院の運慶作の毘沙門天像に似ているそうです。確かにカッコいいお姿をしていました。
十二神将像のような群像はグループで作ることが多いので、それぞれの像の中に新旧の様式を見られるものもある、つまり、年をとった仏師は古い様式の仏像、若い仏師は新しい様式の仏像を造るので、十二体の仏像も様式で見ると随分違うことがあるそうです。
八王子市にある長楽寺の薬師像も安置されていました。こちらは光背、台座全て当時の物だそうです。覆肩衣(ふっけんえ)をしており、右手の肘から先の部分にも衣が掛かっていました。展示されていた薬師如来像の中ではこちらの像が一番良かったです。
影向寺の十二神将像は大倉薬師堂の像を写したものとしては古い仏像だそうで、酉神の髪が巻き髪になっていました。影向寺の像は指定文化財になる時に干支の神が決められたので、あまり正確ではないそうです。
展示されている海蔵寺の薬師如来像の胸の部分には扉があり、そこに薬師如来像の顔が納められています。この薬師像は啼薬師(なきやくし)と呼ばれ、土の中から泣き声がするので掘ると薬師像の頭部が出てきて、それを納めるために薬師如来像が造られたそうです。像の胸の部分を見ると、確かに扉のようなものがあり、しかも蝶番の金具までついています。
円覚寺の十二神将像も展示されていました。円覚寺の十二神将像があるとは知らなかったので少し驚きました。十二神将は十二支と深く結びつき、頭に十二支を乗せていますが、円覚寺の十二神将像の中、何体かは顔が干支に似せて作られています。巳神は蛇のような顔と言われてもそのような気もするし、しない気もするといったものでしたが、申神は誰でも猿顔だと分かると思います。印象としては、円覚寺の申神が一番深く残りました。室生寺の未神も羊のようなまどろんだ顔をしているそうです。
宝城坊の十二神将像は写しですが仏像の下絵が残っており、像と画を見比べることができる貴重なものだそうです。8号像と呼ばれる像は獣の皮を胸から下げており、また上腕に魚がかみついたようになっており、それらを画と像で見比べるのは興味深かったです。
今回も展示解説を聞いて、とても勉強になりました。これだけの十二神将像が一同に揃うことは滅多に無いことですので、時間があれば、是非訪れることをお薦めします。

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