月刊致知10月号の巻頭の言葉は伊與田覺さんの「大学の道」より。

「民に親しむ」とは、殿様になれば、自分の直属の家来だけではなく、一般の民に対しても親しみ、つまり、一体感を感じなくてはいけないということ。

そして、明徳が明らかになると、世の上に立つ者は、直接関係のないところまで一体感を感じて処置をしていくことです。したがって、明徳を明らかにすることと、民に親しむことは、別々のものではなく一つのものです。

「至善に止まる」の善は普通に使っている善とは次元の異なるものです。
普通は善悪を自分の利を中心に考えており、自分に都合のいいことを善、都合の悪いことを悪と見なしています。これは相対の世界でのとらえ方です。

これに対して至善とは、相対という対立する二つの世界を越えた、絶対的な一なる世界の善なのです。

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「民に親しむ」は、上に立つ者(例えば、殿様)に対してのことなので、自分には関係ないと思われる人もいるかも知れません。「民に親しむ」は、「人に親しむ」の方が現代にマッチしているような気がします。自分の知人、友人だけでなく、今日たまたま電車で乗り合わせただけの人に対しても、一体感を感じるよう心掛けたいものです。

「至善に止まる」の善は、仏の世界での善だと思いました。お寺巡りをしていると「観音様のような慈悲にあふれた人になりましょう」と見聞きすることがありますが、これは「至善に止まろう」と言っているのと同じですね。
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