本堂の前にある受付で拝観料を払う途中、本堂のガラス戸から写真でおなじみの運慶仏が遠くに見え、興奮しました。そして拝観料を払い、本堂の中へ。
今回は団体での訪問でしたので、特別にお寺の方が説明してくれるとのこと。椅子に座って待ちながら、五体の運慶仏、阿弥陀如来坐像、毘沙門天像、不動明王像、こんがら童子像、せいたか童子像を眺めていました。
お寺の方の説明で、仏像を作成していた時の運慶の気持ちを考えてみようというのがありました。当時は貴族社会から武家社会への転換期であり、価値観が大きく変わろうとしている時代でした。そのような時代にどのような気持ちで仏像を作成していたのか。やはり、自分の仏師としての腕を信じて、自らを頼りにして生きていたと思います。
また、毘沙門天像、不動明王像は玉眼ですが、阿弥陀如来像は玉眼ではありません。お寺の方の説明では、
・作成当初から玉眼でなかった。
・作成時は玉眼であったが、補修の際、玉眼でなくなった。
のどちらかが分かっていないとのことでしたが、仏像めぐりの後にお会いした多摩美術大学の青木先生によると、作成当時は玉眼で、地震により像が倒れて顔の部分が破損し、その修理の際に玉眼でなくなったそうです。やはり、仏像のプロは違いますね。質問すると瞬時に答えてくれました。
お寺の方の説明が終了すると運慶仏を近くで拝観しました。五体全てが素晴らしいですが、毘沙門天像が一番良かったです。私は戦国時代が好きなので、武将好みの力強い像が好きです。また、せいたか童子も良かったです。二童子の内、こんがら童子はまじめキャラ、せいかた童子はやんちゃキャラですが、せいたか童子をあのように表現できる運慶は凄いなと思いました。
また、創建当時の願成就院を復元した模型があったのですが、願成就院は浄土式庭園を持つ寺院だったそうです。それを見た時、一つの疑問に対する回答のようなものが浮かびました。
願成就院の運慶仏は同様に運慶仏を祀る浄楽寺とよく比較されますが、阿弥陀如来像は願成就院は説法印、浄楽寺は来迎印をしています。来迎印をしている阿弥陀如来像はポピュラーなので分かりますが、何故、願成就院は説法印なのだろうと思っていました。
それは願成就院が浄土式庭園を持つ寺院、つまり、極楽浄土そのものをイメージしているので、人間界に現れる来迎印をしていないのだと思いました。では何故、定印でなく説法印なのかと聞かれると分かりません。
本堂の裏は宝物館になっており、北条時政公坐像や運慶の納入品などが展示されていましたが、政子地蔵が一番良かったです。
今回初めて願成就院を訪れましたが、やはり、運慶仏は素晴らしかったです。これから年に一度は訪れたいお寺です。

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