帰省中の8月16日に岡山県の西大寺を訪れましたので、その時の話です。岡山県の西大寺は裸祭りで有名なお寺です。

JR西大寺駅で下車し、駅前から真っ直ぐ伸びる道を歩いていくと「観音院仁王門口交差点」に到着し、そこを左折すると西大寺の仁王門に到着しました。

仁王門をくぐると目の前に大きな本堂、本堂の先に黄金に輝く南海観音像、右側に三重塔、その先に変わった形の石門が目に入りました。訪れたい場所がたくさんありますが、まずは本堂で観音様にお参りです。

本堂の前には大きな錫杖があり、湯殿山大日坊を訪れた時のことを思い出しました。錫杖をふってお参りをし、中を覗くと閉じられた厨子の前にお前立ちの観音様が安置されていました。500円で内陣拝観ができるようになっていましたが、まずは境内を散策しました。

お堂の右には、南海観音像が祀られており、観音様らしいとても慈悲に溢れたお顔をされていました。案内によると、上海の南東に浮かぶ普陀山と中国三十三観音霊場会は友好交流を結び、これを記念して南海観音像が普陀山から贈られ、中国三十三観音霊場一番札所の西大寺に祀られているそうです。



境内右奥には、鎮守の牛王所大権現と金毘羅大権現を祀るお堂がありました。しかし、残念ながらお堂は工事中で、近くまで寄って拝観というわけにはいきませんでした。

境内には野球場のスタンド席のようなものがありました。これは会陽(裸祭り)を見る為の席だそうです。スタンド席があるお寺は西大寺以外にあるのでしょうか。



境内を一通り拝観すると本堂に戻り、内陣拝観を申し込みました。内陣拝観はまず西大寺の縁起を額絵と放送による案内で学びました。
西大寺は、犀角(サイカク)を持った仙人が「この角が自らと鎮まるところが観音様を祀るお堂を建立する場所である」と告げ、その場所にお堂を建てたのが始まりだそうです。よって元々は、犀角を戴く寺、犀戴寺(さいだいじ)と書かれていたそうです。

また、お寺に関わる話で、岡山城主だった小早川秀秋が本堂で鯉を調理して食べたが、仏罰が下り、亡くなったという話がありました。関ヶ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀秋は大谷刑部吉継の霊に狂乱して死亡したという説が広く知られていますが、西大寺の話は知りませんでした。

次に本堂に入ると、まず不動明王が祀られていました。そして、お堂の上のほうにある御福窓の場所に行けるように階段がありましたので、それを上り、御福窓の場所まで行きました。裸祭りの時には、この窓から宝木が投げられるそうです。高い場所からお堂を眺めるような形になり、今までとは違った眺めだったので、とても新鮮に感じました。

今回の訪問で中国三十三観音めぐりを発願しようかと思いましたが、来年が開創三十周年だそうで、発願は来年の楽しみにしたいと思います。
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