2010年の「京の夏の旅 文化財特別公開」として公開されている清水寺を8月11日に訪れましたのでその時の話を書きます。

今回の夏の文化財公開では、清水寺の大講堂が公開されています。清水寺の大講堂は滅多に公開されませんし、下に引用した紹介文もとても興味深いので、訪れることにしました。

(紹介文 ここから)
清水寺は、平安遷都以前の宝亀(ほうき)9年(778)に創建された名刹で、「清水の舞台」の名で親しまれる国宝の本堂はあまりにも有名。今回は、京都を代表する観光名所・清水寺の境内にあって、普段非公開の貴重な寺宝を納めた大講堂が特別公開されます。

大講堂は、昭和59年に開創1200年を記念して建てられたもので、多宝閣内部には4mに及ぶ巨大な仏足石を安置、壁面には四仏四千余体が祀られて、幻想的な空間を醸し出しています。宝蔵殿には、美しい截金文様(きりかねもんよう)の鎧を着けた貴族好みの「毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)」(重文)をはじめ、清水寺参道に建つ大日堂の本尊で、柔和な顔立ちが印象的な「大日如来坐像」(重文)、平安期の古様を色濃く残す「十一面観音立像」(重文)などの仏像群が安置されています。

また、絵師・長谷川等伯の子、久蔵(きゅうぞう)が25歳で描いたと伝わる「朝比奈草摺曳図 (あさひなくさずりひきず)」(重文)や、朱印船(しゅいんせん)を描いた「末吉船図(すえよしせんず)」(重文)、「角倉船図(すみのくらせんず)」(重文)などの色鮮やかな絵馬もご覧頂くことができます。
(紹介文 ここまで)

清水寺に到着し、仁王門をくぐると特別公開の案内板がありましたので、それに従って歩くとすぐに大講堂に到着しました。



拝観料800円を払い、堂内に入るとボランティアガイドの方がおられ、ある程度人が集まると展示の説明が始まりました。夏、冬の特別公開は京都市観光協会の方のガイドがあるのが良いところですね。

まずは絵馬の展示です。様々な絵馬が展示されていましたが、雨が欲しい時には黒馬の絵馬を、逆に晴れて欲しい時には白馬の絵馬を奉納したという話が印象に残りました。

絵馬は元々は神仏に奉納することが目的でしたが、目立つところに掲げられるので次第に宣伝の意味も含まれるようになり、末吉家や角倉家のような大商家の貿易船を描いた末吉船図や角倉船図が寺社に掲げられるようになりました。

また、末吉船図等に描かれている人物から当時の風俗が分かり、説明に従いながら人物画を見るのは興味深かったです。長谷川久蔵が描いた絵馬もあり、長谷川久蔵の絵馬が奉納されるぐらい今も昔も清水寺は大寺院だったのだろうと思いました。

次は仏像の展示です。中央に丈六の大日如来坐像が安置されていました。清水寺は北法相宗のお寺ですが、真言宗の影響も強かったのだろうと思いました。向かって右隣には、奥の院の千手観音坐像の御前立が安置されていました。三面あるのが特徴で、何度拝観しても素晴らしい像だと思います。

お堂の左には、十一面観音像、不動明王像、地蔵菩薩像、吉祥天像、不動明王像、大黒天像が安置されていました。最初の不動明王像の光背にはカルラの顔が4つあると説明があり、確認すると確かに4つカルラの顔がありました。

毘沙門天像が紹介文にあった「截金文様の鎧を着けた貴族好みの像」です。確かに鎧の彫りは素晴らしいものでした。また、左手に小さい如来像を乗せているのも珍しかったです。小如来像を持つようになったのは後年の修理の時からだそうですが、なぜ如来像を持たせたのか理由が知りたいです。

大黒天像は半跏の像であり、現在のニコニコした恰幅の良い形ではなく、痩せている昔の形だったので、こちらも印象に残りました。

一旦、お堂を出て、仏足石がある多宝閣に行きました。15メートルぐらい下の場所に4メートルの大きな仏足石がありました。四方の壁には、南に釈迦如来、北に多宝如来、東に薬師如来、西に阿弥陀如来の石像が合計4076体ありました。



仏足石は仏像が造られる以前に足跡だけを彫り、そこにお釈迦様がいることを想像したものです。今までたくさんの仏足石を見てきましたが、一番、本来の意味での仏足石、つまり、そこにお釈迦様が立っていると想像出来るものでした。

残念なのは仏足石が通常は非公開のことです。このようなものを作っても、参拝者が日常的にお参りできなければ意味がないと思います。清水寺には是非、日常的にお参りができるようにして貰いたいです。

大講堂の拝観が終わった後、8月6日から16日まで千日参りでしたので、本堂に行きました。ご本尊御開帳以来の内々陣でのお参りでした。ご本尊のいらっしゃる厨子の扉は固く閉ざされていましたが、二十八部衆の像は迫力があり、千日参りの日に内々陣参拝ができて本当に良かったです。
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