松原泰道さんの法句経入門より。

「見」は、「見る」とともに「見(まみ)ゆ」とも読み、「会う」の敬語に用いるのですが、「大言海」(大槻文彦氏著の国語辞典)には、「相見(対面)」の意味もあると解説されています。他者の中に真実の自己に出会うのを、「見ゆ・相見」というのです。

「仏身ヲ見ルモノハ 仏心ニ見(マミ)ユ」と古人はいいます。仏像や仏画を見る者は、その仏身の中に、ほとけのこころ、つまり真実の自己に出会うというのです。

鏡を見ることが、自分に出会うのに似ています。自分の汚れを見、自分を美しくするのが鏡を見る最終の目標です。

それとおなじく、ほとけのこころを鏡として自分の心を映し、自分の心にほとけのこころを移すのが修行です。

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「見」を「見(まみ)ゆ」と呼ぶとは知りませんでした。見仏(けんぶつ)という言葉がありますが、私はその言葉があまり好きではありませんでした。しかしこれからは、見仏を「まみぶつ」と呼び、「ほとけのこころを鏡として自分の心を映し、自分の心にほとけのこころを移すこと」と解釈します。
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