かなさな神社を拝観した後、すぐ近くにある大光普照寺を訪れました。多分、神仏習合の時はかなさな神社と大光普照寺は一体だったと思いますが、今は別々になっています。

本堂に向かう途中にお寺の案内があったのですが、
 創建したのが聖徳太子、中興したのが慈覚大師円仁、元三大師良源が一時滞在したことがある
と凄い人物と関わりのあるお寺です。特に聖徳太子が創建したという寺伝がある東国のお寺は他にないと思います。ちなみにかなさな大師の大師は、元三大師の大師です。

本堂に到着するとお堂の正面が派手に装飾されており、日光の寺院を思い出しました。装飾からも大光普照寺が東国における有力な天台寺院だったことが分かります。



お堂に入り、外陣から御本尊の元三大師像にお参りしました。そして右側に移動すると、十一面観音像、脇侍として毘沙門天と勝軍地蔵が祀られていました。まさか勝軍地蔵像にお会いするとは思ってもいなかったので嬉しくなりました。また案内によると、十一面観音は別名を大光普照観音と呼ぶそうで、それが寺名である大光普照寺の由来だと思います。

また、内陣に欄間彫刻があったのですが、どの仏様か全く分からなかったので、お寺の方に尋ねました。すると、二十八部衆だそうです。二十八部衆の仏像は何度か拝観したことがありますが、欄間彫刻としては初めてだと思います。

もっと二十八部衆の欄間彫刻を拝観したくなったので、お寺の方にお願いをして、内陣に入れてもらいました。阿修羅や迦楼羅(かるら)などがいらっしゃいました。

内陣拝観を終え、外陣に戻り、弁財天像を拝観しました。こちらの弁天様はとても美しかったです。

この大光普照寺は同行者の一人である田中ひろみさんが読売新聞の記事にするかもしれませんので、もし掲載されれば、報告します。
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