塙保己一記念館はそれほど大きな建物ではなく、また入場料も無料でしたので、10分程度で出てくるのはないかと思っていました。しかし、同行の方が記念館の方に説明をお願いしたところ、喜んで引き受けてくれましたので、とても印象深く、かつ為になる訪問となりました。
塙保己一は江戸時代の人で、幼少の頃に病気で失明してしまいました。盲目という大きな障害にも負けず、清廉潔白な性格と本人の努力によって、盲人の最高位である総検校になりました。
塙保己一が生涯に大きな事を三つ成し遂げました。
一つ目は、和学講談所を設立したことです。日本古来の国学を勉強する学問所である和学講談所は最初私塾として出発しましたが、後に江戸幕府経営の学問所になりました。
二つ目は群書類従をまとめたことです。当時の書物は手書きの写本だったため、間違いや余計な文章が書き加えられていることが多々ありました。塙保己一は正しい内容が後世に残らないことを危惧して、たくさんの書物を聞き覚え、そこから正しい内容を桜の版木に彫刻させ、群書類従を完成させました。
三つ目は水戸藩の大日本史の校正に加わり、大日本史を完成させたことです。
また、ヘレンケラーが来日した時には、群書類従の版木や塙保己一のブロンズ像に触れたそうです。
私にとって、知らない話ばかりだったので、記念館の方の話はとても興味深く、為になりました。また、ヘレンケラーは知っているのに塙保己一を知らない、つまり自国の偉人を知らないことは本当に恥ずかしいことだと思いました。これから寺社めぐりで各地を訪れた時にその土地の偉人を紹介する記念館があれば、積極的に訪れようと思います。
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