月刊致知7月号の特集は「道をつくる」でした。

世の中には人がつくった道を歩いていく人と、自分で道をつくる人の二通りがある。以前は後者の人生こそ尊いと思っていた。だが最近、そうではないと思うようになった。二つの道は別のものではなく、交錯しているということである。

孔子も釈迦も独自の道をつくった人である。しかし、孔子も釈迦も最初から孔子、釈迦であったわけではない。それぞれの成長期にそれぞれの道を学び、その道を踏査していくことによって独自の道をつくり出していったのである。

道をつくった人は、道をつくろうと思った人である。その思いを強く熱く反復した人である。行ったり来たりする中で道はできる。一回通っただけでは道はできない。このことは歴史が教えている。

「一源三流」という古語がある。
「一源」は誠、誠実である。この誠、誠実を源にして、
1. 汗を流す
2. 涙を流す
3. 血を流す
すなわち、「三流」である。
汗を流すとは勤勉、努力すること、一心不乱に打ち込むことである。
涙を流すとは降りかかる困難に耐え人知れず涙を流す、あるいは達成の喜びに感動の涙を流すこと。
血を流すとは命を込める、命をかけることである。

「一源三流」は人をつくり、道をつくる万古不易の原理である。

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「世の中には人がつくった道を歩いていく人と、自分で道をつくる人の二通りがある」とありますが、
・人がつくった道だけを歩いていく人
・人がつくった道を歩いた後、自分で道をつくる人
の二通りがあるのでは思いました。

「行ったり来たりする中で道はできる。一回通っただけでは道はできない」を読んで、
「自分一人が通っただけでは私道である。多くの人が通る公道をつくることが大切である」
と考えました。
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