「癒やし」というのは甘えの理論ではないかなと。「癒やし」と同時に「燃やし」が大事だと思うんです。癒されたと同時に燃やされて、決意をし、新しい命を生み出して次の段階へ進んでいく。
***
短い文章ですが、私が思っていることと正に同じことを書かれていたので掲載しました。寺社めぐりをする理由として、癒されたいからと答える人は少なくはありません。もちろん、癒されたいからという理由は悪くはありません。ただ、そこで終わってはいけません。癒されて元気になったならば、その力を世の為、人の為に生かそうという気持ちを燃やすことも必要だと思います。そうでなければ、次の段階に進むことなどできません。
・追記
「癒やし」だけで終わってはなぜいけないか。それは「癒やされる」が自利だからです。神仏から功徳を受け取ったならば、それによって、他者を救済する利他も忘れてはいけません。自利利他の精神、これなしに成功した人はいません。
カテゴリ
タグ