宿坊である大日坊に到着して、部屋に荷物を置くとお堂に移動しました。お堂には、弁財天像、不動明王像、大黒天像の大きな像が安置されていました。

正座して待っているとお寺の方が現れ、内陣に入り、それまで閉じられていた布が開いて大日如来像が現れ、護摩が始まりました。護摩では、お寺の方二名が声明を唱えながら、錫杖を左右に振って大きな音を出していたのが印象に残りました。また、護摩の途中に参加者一人ひとりの名前を読み上げて頂き、終わった後にお札を頂きました。

大きな梵天(長い竹や棒の先に厚い和紙や白布を取り付けたもの)で参加者一人ひとりの頭をなでて頂きもしました。後でご住職のお話を伺った時、湯殿山のある出羽地方を治めていた最上義光の妹である義姫は伊達家に嫁ぎましたが、子どもに恵まれませんでした。そこで、ある人に相談すると湯殿山の梵天があれば子宝に恵まれると言われ、その通りにすると子どもが授かりました。その時、生まれた子供が伊達政宗で、幼名を梵天丸と言います。つまり、正宗の幼名である梵天丸は湯殿山の梵天に由来しているそうです。

大日如来像はお前立ちで、厨子の中に湯殿大権現(大日如来)像が安置されており、牛、羊歳に御開帳されるそうです。また、現在は真言宗豊山派の祈願寺ですが、江戸時代は全国に七ヵ所あった徳川将軍家の祈祷寺だったそうです。

次は真如海上人の即身仏の前に案内してもらいました。真如海上人は二十代の頃から即身仏を志し、その頃から木食行(木の実や木の根などの木しか食べない行)を続け、土中に入る少し前に漆の液を飲み、42日間、塩と水で断食をしてから、生身のままに土中に入定したそうです。

ご住職が「ミイラと即身仏は違う」とハッキリおっしゃっていたのが嬉しかったです。岐阜の某寺ではミイラと書いており、嫌な思いをしたので、湯殿山のご住職の言葉を聞けて、良かったです。

湯殿山には他にも何体かの即身仏があったそうですが、廃仏毀釈の際に焼かれたそうです。真如海上人の即身仏は、真如海上人が遺言で別のお堂に置くことを願ったので、助かったそうです。本当に廃仏毀釈は愚行ですね。即身仏になられた方々がどんな思いでそのようになられたのかを考えれば、そのようなことは出来ないはずです。

またご住職の言葉の中で「この世で仏になろうとしない者が、どうしてあの世で仏になれるのか」が印象に残りました。

真如海上人の即身仏が着られている衣は何年か毎に新しくするそうで、着ていた衣が入ったお守りが売っていましたので、購入しました。

即身仏へのお参りが終わった後、庄内三十三観音霊場のお砂踏みを兼ねた、安置されている仏像のお参りをしました。剣を飲み込んだ波分大聖不動明王、飯綱大権現、三宝荒神などの凄い仏像が目白押しで、圧倒されました。いつもは手を合わせた後、それぞれの仏像に関して思ったことをメモするのですが、圧倒されて、合わせた手を開くことができませんでした。私にはとても神聖で、パワーにあふれた場所のように感じました。

湯殿山大日坊に宿泊参拝できたことは、本当に良い経験になりました。

大日坊全景
大日坊の全景
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