訪問日:平成22年4月30日
常楽寺で頂いた地図に従い、境川沿いを歩いて、観音寺を目指します。境川を歩きながら、朝光寺を訪れた時に聞いた、「薬師如来を祀るお寺は鶴見川沿いに多く、これは昔、鶴見川の氾濫が原因で疫病などが流行したためではないか」という話を思い出しました。確かに、常楽寺も観音寺も鶴見川ではありませんが、境川沿いにあります。

訪れた時の境川はとてもおだやかでした。今の境川が氾濫し、疫病が蔓延することはありえないでしょう。そうだとすると薬師如来を祀る意味はなくなってしまったのでしょうか。いや、やはり、薬師如来を祀る意味はあると思います。現代人は精神的なストレスは大きいし、病気になった時に「薬師如来様に守られている」という安心感は今も昔も変わらないのではないか。
そんなことを考えながら歩いていました。自動車でお寺めぐりをすることよりも歩いてお寺めぐりをする利点は、考える時間がたくさんあることだと思います。歩くと脳が活発になるのか色々考えが浮かびますし。



観音寺に到着すると入口に武相観音一番札所の文字がありました。ということは、来年の武相観音めぐりはここ観音寺からスタートということになると思います。

本堂に入ると中央に厨子に入った薬師如来立像が祀られていました。そして、その後ろに扉が閉ざされた厨子がありました。この中に卯歳観音様が祀られているということですね。その横に日光、月光菩薩のように見える像がありましたが、薬師如来像よりも随分大きな像です。後でお寺の方に伺うと日光、月光菩薩ではないそうです。

また、左壇には大きくて立派な地蔵菩薩坐像が安置されていました。その像を拝観した時、またまた朝光寺での話、「閻魔像は大きくて立派なので、何らかの信仰があったのではないか」という話を思い出しました。地蔵菩薩と閻魔大王は同一の存在とされていますので、境川の氾濫で不幸にも亡くなった人に対するお願いを地蔵菩薩にしていたのだと思いました。

境内には、聖徳太子を祀る太子堂、稲荷社、弁天堂があり、武相観音一番札所に相応しいお寺でした。


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