駅から歩き始め、ほどなく伝香寺へ。中門から境内に入り、早速、本堂に向かいます。本堂の扉は開けられており、「はだか地蔵尊」と愛称されている地蔵菩薩立像の姿が見えました。思っていたより、小さな仏様です。本堂に上がれるようになっていましたので、本堂に上がるとお寺の方が説明をしてくれました。
はだか地蔵尊は年に一回、7/23に衣の着せ替えが行われ、例年は数日しか拝観できないそうです(今年は平城遷都1300年祭で特別にご開帳されています)。また、長谷寺式観音像が胎内仏として納められていたそうです。お地蔵さんの錫杖を持つ長谷寺式観音像がお地蔵さんの胎内に納められていたというのは興味深い話でした。
はだか地蔵尊の後ろに安置されているのが御本尊の釈迦如来像で、豊臣秀吉が発願した京都方広寺大仏の試みの仏と言われているそうです。奈良の大仏にも試みの仏がありますので、方広寺の大仏も同じだったんだなと思いました。ところで、鎌倉の大仏には試みの仏は聞いたことありませんが、あるのでしょうか。
本堂の右壇には春日曼荼羅が掲げられていました。曼荼羅には春日稲荷が描かれており、筒井家の守護神だそうです(伝香寺は戦国大名である筒井順慶の菩提所として建立されたのが始まりです)。狐に乗った女神が描かれており、ダキニ天のようでした。
本堂の左壇には聖徳太子2歳像が安置されていました。この像は島左近が筒井家に奉納したものだそうで、戦国時代が好きな私としては「島左近が奉納した」というだけで、凄いと思ってしまいました。
伝香寺は奈良三名椿の一つで有名ですが、現在の3代目以外に4代目も既に植えられているそうです。
仏像の近くによって拝観でき、また外陣からですが写真を撮っても構いませんでした。本堂を出て、写真を撮っている同行の方を待っている時、境内にお寺の方がいらっしゃったのでお地蔵さんの性別を尋ねると「それを秘密です」となぜか答えてくれませんでした。
順慶堂には筒井順慶の像が祀られており、伝香寺と筒井家との深い関係を感じました。そして、3代目と4代目の椿を観賞し、伝香寺を後にしました。

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