以前、横浜市になぜか薬師如来霊場が結構あるという記事を書きました。

相模薬師如来霊場のガイドブックには
 中国の帰化人秦河勝が勅命により長和三年五月に京都太秦の広隆寺に桂宮院という寺を建て薬師如来を安置しました。その年も月も共に寅でありましたので、人々は寅年が特にお藥師様に縁のある年と思うようになり、以来寅年には特別に御開帳を申し上げ、御法事をする風習が出来て今日にいたっていると見えます。
と書かれています。

つまり、広隆寺が寅薬師の元である説です。しかし、こちらの記事には
 薬師が寅(とら)の方角(東北東付近)を守るとされたことから、寅年に一斉に開帳されるようになったという。
と別の説が書かれています。

私は上述の記事を読んで、次のことを思いつきました。
 薬師如来が東方浄瑠璃界の主なので、東方、つまり、京都から見て東国である関東地方において薬師信仰が盛んだったのでないか。

理由はどうであれ、現在まで薬師信仰が続いており、今年の寅年も御開帳されるのは嬉しいことです。
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