先日、川崎大師を訪れた時、「お大師さまのことば」という法話が書かれた紙を頂きました。

「人の相知ること 必ずしも対面して久しく語るに在らず 意通ずれば、すなわち傾蓋の遇なり」

(大意)人が互いのことをよく知るには、出会ってから長い間語り合う必要があるとは限らない。心が通ずれば、少しの間で旧知のように親しくなることができる。

(解説)傾蓋(けいがい)とは、孔子と程子がたまたま道で出会って車を停め、蓋(かさ)を傾けて終日語り合ったという故事から、少し会っただけで旧知のように親しむことをいいます。

近年では、通信機器の発達、普及により、離れて暮らす人とも連絡を取り合うことが容易になりました。このような顔を知らない者同士の出会いでも、嗜好や価値観が合えば、「傾蓋の遇」になることもあるでしょう。大切なのは、出会いの形や付き合った期間ではなく、互いの心が通じ合うことです。

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寺社めぐりで初めて会う方と一緒になることがありますが、初めて会うにもかかわらず、何年も前から知っている方のように感じることがあります。「大切なのは、出会いの形や付き合った期間ではなく、互いの心が通じ合うことです」は、本当にその通りだと実感しています。
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