「寺社にお参りする時は感謝だけを神仏に伝えて、(現世利益等の)お願い事をするものではない」と主張される人がいます。そのような人は全員がそうだとは言いませんが、
感謝だけを伝えている私・・・善人
現世利益を求めている人・・・悪人
という考えを心のどこかに持っているのではないかと思います。

そのような考えを持っている人は正に歎異抄の中で「善人ですら救われるのだ。まして悪人が救われぬわけはない」と述べられている善人なのではないでしょうか。

ただ、私は神仏に感謝を伝えるのが悪いと言っているのでありません。実際、私も寺社でお参りする時は感謝の気持ちを伝えています。言いたいのは、神仏が望んでいることは感謝されることではないということです。

例えば、会社の上司が部下二人に仕事の為になるからと本を貸したとします。部下Aはそれ以降、上司に会う度に「本を貸してくれてありがとうございます」と大変丁寧に何度も何度も感謝の言葉を伝えます。一方、部下Bは感謝の言葉も伝えますが、メインは本の内容についてあなたに色々と質問をします。

上司はどちらの部下の態度に満足しますか。多くの人は部下Bと答えると思います。それはなぜかというと、上司の思い(本を読んで、それを仕事に生かして欲しい)を実行しようとしているからです。上司は感謝されたいから本を貸したのではありません。

では、神仏の思いとは何でしょうか。それは、個々の人間が神仏から与えられた天命を理解し、それを通して、この世界を、あらゆる苦しみのない神仏の住む世界により近づけることだと思います。その為にも、学ぶことによって、自分自身をより高め、世のため、人のためになることを実践していかなければなりません。

神仏から賜った心体を神仏から喜んでもらえるほど育てているか。常に自問自答したいものです。
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