月刊致知2010年1月号に空手の師範である瀬戸謙介さんの記事が掲載されていました。

空手の稽古も胴着が血に滲まない日がないくらい厳しいものでしたが、坐禅はもっと辛いものでした。いくら無になれと言われてもできない。

その時思ったのは、
 太陽の光は色々な色が合わさって初めて透明になる。人間も無になるには学びが必要だ。無知な人間がいくら無になろうとしても、それは無知のままだ
ということでした。

悟りとはほど遠い状態でしたが、学びという点では一つの気づきを得たように思います。
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