昨日の記事と同様、大法輪平成22年1月号の曹洞宗が説く仏教的生き方より。

ノートルダム女子大の前学長である渡辺和子先生のある日のお話が心に残る。

若き日、アメリカで修練女としての朝夕を過ごしておられた。配膳係という配役で皿を並べていた時、背後から修練長の厳しい声がかかった。
「シスター、どういう心でその皿を並べていますか?」
「いいえ、何も」
と答えたものの、“こんなつまらない仕事を”と思いながら並べていたことは間違いないし、体がそれを語っていたのであろう。

「あなたは時間を無駄に過ごしています。やがてそこに座る一人ひとりの幸せを祈って並べたらどうですか」
渡辺先生はこの修練長の言葉を紹介された後、次のように語られた。

「同じ仕事をしていても、“つまらない、つまらない”と思いながらやったらつまらない時間を過ごしたことになる。人の幸せを祈りながらやったら幸せを祈る時間を過ごしたことになる。一時間を生きるということは一時間のいのちを生きるということです」

「世に雑用というものはありません。用を雑にした時、雑用が生まれるのです」

“時間の使い方は命の使い方”と、どの一瞬もかけがえのない、やりなおしのできない私の生命の歩みとして大切に生きる、まさに「宗教は生活である」の心そのものである。

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とても為になる話ですね。私も「つまらない仕事だ」と感じることが多々ありますが、この話から得たことを実践していこうと思います。
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