仏都会津古刹めぐりツアーの二日目は法用寺からスタートです。吉田さんの作成した案内によると、金剛力士像が見所だそうですが、仁王門にはいらっしゃいませんでした。仁王門をくぐり、境内を奥に進むと観音堂にお寺の方がいらっしゃり、お堂の中に入りました。すると、こちらに金剛力士像が安置されていました。


観音堂

全員がそろい、お寺の方が観音様にお経を唱えた後、お寺の紹介がありました。
元は法相宗で現在は天台宗だそうです。そして、開山は徳道上人だそうです(境内にあった案内板には得道上人とありました)。徳道上人と言えば、西国三十三所観音霊場を巡っている方なら知っているとおり、閻魔大王から観音霊場を広めるように三十三の宝印を受け取った高僧です。そのような方が開いたと伝わるお寺が会津にあるとは思いもしませんでした。

御本尊の観音像は秘仏のため、お前立ちの観音像が厨子の前に祀られていました。御本尊は秘仏ですが、絵がありましたので、それを見ると錫杖を持つ長谷寺式観音像でした。徳道上人は大和の長谷寺を建立した人なので、法用寺は長谷信仰とも深い関わりのあったお寺だと感じました。

堂内の上の方に三十三応化身像が安置されていました。神奈川県に住む私は三十三応化身像といえば、鎌倉の長谷寺を思い出しますので、ここでも長谷寺に繋がっているのかなと思いました。

また、お寺の方が話されていましたが、会津では女性は33歳の時、観音めぐりをしても良いという習慣があるそうです。それは33歳というのは、体が疲れる時なので、観音めぐりをして、ゆっくり休んで欲しいという思いからだそうです。会津らしい良い話ですね。

金剛力士像について書いていませんでしたが、平安後期の特徴のある作で、同時代のものは滋賀県の善水寺にある他は全国にも類例がないといわれる逸品だそうです。

観音堂を出た後は、三重塔へ行きました。会津地方に現存している唯一の塔だそうです。初層にある穴から中をのぞくと、釈迦三尊像が祀られていました。


三重塔
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