月刊致知12月号に掲載されている伊與田覺(いよださとる)さんの巻頭の言葉より。

『論語』に次の言葉があります。
「孔子曰わく、君子に三畏有り。
 天命を畏(おそ)れ、大人(たいじん)を畏れ、聖人の言を畏る。
 小人(しょうじん)は天命を知らずして畏れず、
 大人に狎(な)れ、聖人の言を侮る」

君子には三つの畏れがある。畏れという字は、恐れと異なり、敬いながら恐れるという意味合いがあります。

天命とは宇宙根源の働きを言います。感覚の世界だけで生きている人には、その存在が理解できませんが、君子はこの世の現象を根底で動かす偉大な力の存在を認識して、それを畏れ敬うのです。

大人というのは天の心、天の働きを身につけている人を言います。そういう立派な人の前に出るとおのずと頭が下がり、畏れの気持ちを抱かされるものです。

聖人というのは、大人の中でも更に突き抜けた存在です。一般の人には分からない声なき声を聞き、形なき形を見て、そこで得たことを自分の内に止めておくのではなく、世の人々に伝え、世のために生かそうと尽くす人です。

そうした聖人の言葉を書き残したものが『論語』であり、キリストの『聖書』であり、お釈迦様のお経です。そして、そこに記されている言葉を畏れ謹んで実践しようとするのが君子というものです。

小人というのはその逆で、天命を知らずして、大人には無礼な態度を取り、聖人の言を侮るというのです。

己の生きる意味を自覚し、意義ある人生を送るためにも、天、大人、聖人の言を畏れ敬い、素直に実践するという謙虚な気持ちを持つことがとても大切です。

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天命とは、大人とは、聖人とは、君子とは、全て、なるほどとうなずきながら読みました。
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