講演は二つあり、一つ目が光明寺法主である宮林昭彦さんによる「鎌倉時代と浄土信仰」、二つ目が成城大学学長、三井記念美術館館長である清水眞澄さんによる「光明寺と鎌倉彫刻」でした。

宮林さんの講演は、全員で南無阿弥陀仏を復唱してから始まりました。
鎌倉時代になって、新しく武家政治の時代になり、新しい宗派もできた。それ以前の宗派は教義中心、仏中心だったが、鎌倉仏教は救済中心、人間中心である。

道元は只管打坐、ひたすらに坐禅することを説いたが、法然は専修念仏、ひたすらに念仏することを説いた。

道元の曹洞宗は自力、法然の浄土宗は他力なので、共通点はないのかと思っていましたが、一つのことに打ち込むという基本的な部分で通じるものがあることに気づきました。

北条政子は浄土教に理解があった。それは浄土教が女人往生を説いたからである。

念仏を唱えるのは極楽浄土へ往生するため。極楽浄土は西にある。光明寺の裏山からは日が沈むのがよく見える。だから、光明寺は海の近くの日の入りが見える場所にある。

鎌倉を囲む三方の山にひだのように入り込んでいる谷を谷戸と言いますが、鎌倉の多くのお寺はこの谷戸に建てられています。しかし、光明寺は海岸近くに建てられており、なぜ、谷戸に建てられなかったのかと疑問に思っていました。しかし、西方に沈む太陽に礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせるために日の入りが見える海岸近くに建てたのだと分かりました。
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