18日に送られてきた致知のメルマガに三浦綾子さんの「人間の悲しい性」という話が紹介されていました。

「泥棒と悪口をいうのと、どちらが悪いか」。

私の教会の牧師は「悪口のほうが罪深い」といわれました。
泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口をいわれて死んだ老人の話や少年少女の話は時折、聞きます。それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口をいい、また聞いています。人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。

もし自分が悪口をいわれたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つけるうわさ話をいとも楽しげに語る。私たちは自分を罪人だとは思っていない。罪深いなどと考えたりしない。

それは私たちは常に2つの尺度を持っているからです。

「人のすることは大変悪い」
「自分のすることはそう悪くない」

自分の過失を咎(とが)める尺度と、自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。

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「泥棒と悪口をいうのと、どちらが悪いか」と問われると多くの人は泥棒と答えると思います。泥棒をしたことがある人はほとんどいないでしょうが、他人の悪口を言ったことのある人はほぼ100%でしょう。

「人のすることは大変悪い」
「自分のすることはそう悪くない」
は、本当にその通りだと思いました。悪口を言いそうになった時には、まず、この二つの尺度を思い出すことです。
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