宝蔵の二階の一番左には地蔵菩薩立像が安置されています。こちらのお地蔵さんは錫杖を持っていません。よって、地蔵信仰が大衆に広まる前の作かと思いましたが、図録によると当初は錫杖を持っていましたが、大正期の修理の時に錫杖を持つ右手が改作されたそうです。
次は兜跋毘沙門天立像です。こちらの像が観世音寺に現存する仏像の中で最古のものだそうです。東寺の兜跋毘沙門天は羅城門にあったものですが、こちらの像も太宰府の羅城門にあったものだと考えられているそうです。ということはきっと元寇の時も太宰府の羅城門を守っていたことでしょう。
次は地蔵菩薩半跏像です。延命地蔵として信仰が厚いそうですが、頭部が大きく感じるので、学問成就の御利益もあるかなと思いました。
次は観世音寺でもっとも小さい像である十一面観音像があり、その隣には像高が3メートルほどある大きな聖観音坐像がありました。聖観音といえば立像が多いですので、坐像は珍しいです。しかも、とても大きい像なので強く印象に残りました。ちなみに右手は阿弥陀如来のように親指と人差し指で輪を作っていました。
次はいよいよ三体の巨体仏像です。最初は像高が498センチの十一面観音像です。目の前に立つと正に見上げるような大きさです。巨大な観音様は千手観音像が多いような気がしますが、江戸時代以前の仏像で最も大きな十一面観音像はどの仏像なのでしょうか。
次は馬頭観音像です。観世音寺の素晴らしい仏像群の中でも一番の仏像だと思います。馬頭観音像自体があまり多くないので、正に日本を代表する馬頭観音像です。この像を拝観するだけでも九州に行く価値はあると思います。
次は不空羂索観音像です。東大寺の三月堂の不空羂索観音像と比べるとシンプルな感じがします。額に第三の目を有しており、索もしっかり持っていました。
次は阿弥陀如来像と四天王像です。阿弥陀如来像は金箔がとれ、黒い肌になっていますが、それが良い感じでした。四天王像も負けず劣らず立派でした。
次は大黒天像です。一般の大黒天像とは随分違います。やせており、顔は少し忿怒の表情です。古式の大黒天はこのような像だったと思い起こさせてくれます。
次は十一面観音像でその隣が吉祥天像でした。図録によると吉祥悔過会の本尊として信仰されてきたそうで、奈良の薬師寺と同様、古い歴史のある観世音寺に相応しい仏像だと思いました。

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