現在、金沢文庫では「中世の港湾都市六浦」という企画展が開催されています。中世には横浜市金沢区に主に鎌倉への物資を扱う六浦港という大変栄えた港がありました。今年は横浜開港150周年記念ですので、それに合わせて、六浦を紹介する企画が開かれています。

展示品の中に長浜観音と呼ばれる聖観音像が展示されていました。この観音様は、海中出現観音という別名もあります。なぜそう呼ばれているか、以下に紹介します。

長浜は長浜千軒といわれるほど栄えた漁村で、長浜観音が祀られていました。しかし、応長元年に大津波に襲われ、村は海の中に飲み込まれてしまい、観音像も海に流されてしまいました。ところがこれほどの大災害にもかかわらず村人に一人の犠牲者もでませんでした。「観音様が身代わりになってくれた」と村人は感謝しました。

それから四十年ぐらいたったある日、漁師の網に観音像が掛かりました。それは大津波の時に流された観音像でした。村人は称名寺赤門のそばにお堂を建て、お祀りしました。

以上のような逸話がありますが、展示解説によると、応長元年に東京湾を襲った津波は確認されていないそうです。
・明応地震と間違えた
・客仏につけられた伝説
・沈船の漂流物
ではないかと考えられているそうです。

長浜観音像は左手に持っている蓮華を口元に近づけていますので、まるでマイクを持っているように見えます。また右手は手を上げて手のひらを前に向けた印相である施無畏印(せむいいん)ですが、肘から上側が顔の方に傾いています。よって、ファンの声援に応えて手を振っているように見えます。頭に肩まで下がったリボンのように見えるものもあり、歌手のように見えます。よって、別名として「歌手観音」という名前があっていいのではないかと感じました。

展示を見終わった後、以前、称名寺を訪れた時に渡れた反橋がまだ渡れましたので、反橋から本堂を眺めました。反橋の上から見る本堂の景色が好きです。


タグ