本日、6月14日から7月12日まで鎌倉国宝館で開催されている「お釈迦さまの美術」展に行ってきました。目当ては、三幅展示されている涅槃図です。大法輪に掲載されていた「涅槃図を読む」の連載を読んで、涅槃図に興味を持ったからです。

まず最初は瑞泉寺の涅槃図です。室町時代の作で、東福寺の明兆作の涅槃図を元にして描かれたものだそうです。図を見て特徴的だと思ったことは、
・摩耶夫人が描かれていない
・お釈迦様の衣が金色ではなく、朱色である
ことです。
東福寺の涅槃図を見たことがないので、東福寺のものも同じなのか確かめたくなりました。東福寺の涅槃図は毎年3月14から16日に公開されるようなので、来年はその時期に東福寺を訪れようと思います。

次は成就院の涅槃図です。江戸時代の狩野常信の作だそうです。この図でまず目に入るのが、金泥で描かれたお釈迦様です。お釈迦様が本当に光り輝いているようです。
こちらの図には摩耶夫人が描かれていたのですが、左側上空より降りてこられる姿でした。一般的には右側上空から降りてこられる姿ですので、珍しいと思いました。

また先程の瑞泉寺のものと見比べると四枯四栄の沙羅双樹が違いました。瑞泉寺のものは八本ある沙羅樹が栄えているものと枯れているものが交互に描かれていましたが、成就院のものは、左の四本が栄えている、右の四本が枯れているものでした。
八本ある沙羅樹の中、どの四本が栄え、どの四本が枯れているかも涅槃図を見る上で確認したい箇所だと思いました。

最後は宝戒寺の涅槃図です。南北朝時代の作で三幅の中で一番大きな図でした。摩耶夫人は右側上空から降りてこられる姿で、お釈迦様も金色の衣を着ていました。沙羅樹は、左側の四本が枯れており、右側の四本が栄えていました。
展示されていた三幅は
・摩耶夫人(描かれていない、左側上空、右側上空)
・栄えている樹と枯れている樹の位置(交互、左に栄・右に枯、左の栄・右に枯)
がそれぞれ違っていたので、興味深く見比べました。

宝戒寺の図で特徴的だと感じたのは、お釈迦様の足付近に女性らしい人物が集団で描かれているように見えたことです。これには以下のような話があります。

 お釈迦様の訃報が伝えられると多くの人たちがやってきて、「聖体を拝ませて欲しい」と阿難に願い出ました。阿難は「お釈迦様が御在世中は女性がその座下に詣でることは少なかった。よって、まずは女性から聖体を拝ませてあげよう」と思い、尼僧や清い信仰の女性から聖体を拝ませました。

ですので、絵師は上の話を元に足付近に女性を描いたのではないかと思いました。

涅槃図以外には、厨子に収まった仏涅槃像があり、横たわるお釈迦様、足に触れる老女、枕元で悲しむ仏弟子が像で、その他は厨子の扉裏などに描かれていました。
涅槃像といえば、横たわるお釈迦様だけの場合がほとんどですが、このような全体が分かるタイプですと涅槃の様子がよく分かります。

涅槃関係以外では、文殊大師図が印象に残りました。一見、お地蔵さんのように見えますが、右手に如意、左手に経巻を持っていることから僧の姿をした文殊菩薩なのだそうです。聖僧文殊とも呼ばれるそうです。

苦行の後で山を下りてきたお釈迦様を描いた出山釈迦図もその姿が印象に残りました。建長寺三門楼上に安置されている銅造五百羅漢像も展示されており、三門楼上の中の写真も合わせてありました。写真を見て、「建長寺三門に登れたらな」と思いました。

涅槃図などの仏画は知識があると無い場合に比べて、よりたくさんのことに気付くことができます。これは仏画に限らず、ほとんど全てのことに当てはまりますね。本などを読んで知識を蓄えることによって心に栄養を与え、多くのことに気付きたいものです。


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