5月2日、智積院会館を出た後、法住寺を訪れました。5月1日に智積院会館に向かって歩いていると「後白河法皇御本尊御開扉」と書かれた案内板がありましたので、翌日に行ってみようと思ったのです。

本堂に上がって、拝観したい旨を伝えると、冊子を頂き、お寺の方が説明をしてくれました(拝観料500円)。現在の法住寺は小さなお寺で、場所も「三十三間堂の近くにある」と説明されますが、元々はとても大きなお寺で、三十三間堂もそもそもは法住寺内のお堂だったそうです。

本堂には身代わり不動明王像が祀られています。法住寺合戦で木曾義仲が攻め入った時、明雲大僧正は敵の矢に倒れましたが、法皇は難を逃れました。「お不動様が明雲となって我が身代わりとなってくれた」と後白河法皇は感謝したそうです。

次は四十七士木像を拝観しました。京都・山科に閑居して好機をうかがっていた赤穂浪士・大石内蔵助は身代わり不動尊に詣でて大願成就されたことから祀られているそうです。向かって右側が大石内蔵助を大将とした表門隊、左側には大石主税を大将とした裏門隊が安置されており、それぞれの配置は決まっているそうです。また四十七士が全てそろった木像は珍しいそうです。

法住寺の隣に法住寺陵があります。後白河法皇は亡くなられた後、法住寺の法華堂に葬り奉られ、明治以後、法華堂は宮内庁の管轄になりました。法華堂には運慶作と伝えられる後白河法皇坐像が安置され、明治維新までは年に一度ご命日の日に限り、開扉、参拝が許されたそうです。しかし、明治維新後、開扉されたことはないそうです。平成三年に八百回の御忌を迎えるにあたり、開扉されない像とそっくりなお前立ち像を造り、毎年五月一日から七日までその御像が御開扉されているそうです。

開扉されている後白河法皇像の近くに親鸞聖人そば喰いの御像が安置されていました。親鸞が毎夜、比叡山を下って六角堂に参籠していた頃、親鸞の身代わりとなって留守居を勤め、衆僧と共にソバを食べ、留守であることがばれずに済んだそうです。

後白河法皇が今様を好きだったこともあり、今様歌合わせも行われているそうです。案内のお寺の方が今様を歌ってくれました。

サザエさんの作者で知られている長谷川町子さんの位牌もありました。長谷川町子さんはキリシタンでしたが、(1)法住寺界隈が好き、(2)遺骨が盗まれるという事件があったため、法住寺の堂内に安置されることになったそうです。

三十三間堂の近くに身代わり不動尊が祀られていることは知っていましたが、今回、初めて、法住寺を訪れました。堂内では熱心にお参りされいる方が何人もおり、良いお寺だと思いました。


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