朝のお勤めは午前6時からですので、午前5時30分に館内放送があります。その10分前ぐらいに起きようとアラームをセットしましたが、自然と5時には目が覚めてしまいました。

5時45分に一階ロビーに集合した後、お寺の方の先導で金堂に行きました。朝の境内は空気がとても心地よかったです。
堂内に入ると既に多くのお坊さんがおられ、ほどなく朝の勤行が始まりました。智積院のホームページに「たくさんの修行僧が唱える声明(しょうみょう=お経)の響きは圧巻です」と書かれていますが、まさにその通りでした。2月に東京オペラシティコンサートホールで開催された声明を聞きに行きましたが、その時は席が後ろの方でしたので、今回の方が迫力を感じました。

また、コンサートホールでなくお堂でしたので、信仰も強く意識しました。金堂には大日如来像が祀られているのですが、智積院は何度も火災に遭っているので、大日如来像は昭和時代の作です。よって以前、智積院を訪れた時には「新しい仏像」という感想しか持たなかったのですが、多くのお坊さんが唱えるお経を聞きながら、大日如来像を拝観していると、とても神々しく感じました。

金堂での勤行が終わると次は明王殿に移動し、明王殿での勤行に参加しました。金堂の勤行は先祖供養、明王殿での勤行は現世利益のご祈祷です。明王殿の御本尊は不動明王ですので、お坊さんと一緒に不動真言を唱えました。

お勤めの後は名勝庭園、国宝障壁画を拝観しました。庭園拝観では、お茶とお菓子が出され、それらを頂きながら、案内の方の説明を聞きました。庭園拝観ではお寺の方の説明が非常に良かったです。智積院の庭園について良く理解できました。庭園には様々なメッセージが含まれています。庭園の池が濁っているのにも意味があるとは思いませんでした。この他にも多数の事柄について説明を受けましたが、これらを知っていると知らないとでは、智積院の庭園の見方が全然違ってきます。







国宝障壁画を知るには智積院の歴史を知っておく必要があります。豊臣秀吉は僅か三歳で亡くなった愛児・鶴松の菩提を葬る為に祥雲禅寺を建立しました。豊臣家滅亡後、徳川家康は根来の僧に祥雲禅寺を寄進し、祥雲禅寺は智積院となりました。

智積院に現存する画には松が多く描かれています。松は鶴松を表しているのだそうです。力強く描かれた松には秀吉の鶴松に対する様々な願いが込められていると思います。
長谷川等伯の長子久蔵が描いた桜の図には宿泊した人だけが楽しめる仕掛けがあります。それは是非、宿泊してお楽しみ下さい。

画を拝観した後、会館に戻り、朝食を取りました。6時から始まって8時まで一連の行事がありましたが、時間が長いと感じることは全くありませんでした。それほど、充実した内容でした。

京都での一日をとても清々しい気分でスタートすることができますので、まだ宿泊されていない方は一度、智積院会館に宿泊されてみてはどうでしょうか。お薦めです。
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