なんばから南海電鉄に乗り、南海線の蛸地蔵駅で下車しました。そこから十分ほど歩くと天性寺に着きました。

まずは皆さんが気になるであろう蛸地蔵の名前の由来について紹介します。

本尊の地蔵菩薩像は聖地に祀られていましたが、戦でお堂が焼き払われ、地蔵菩薩像は海に投げ込まれました。

南北朝時代のある年、岸和田に大きな津波が起こりました。しかし、家々にはたいした被害もありませんでした。人々は不思議に思って海岸に出てみると、蛸に取り囲まれた地蔵菩薩像が岸に上がっていました。これは岸和田の守り本尊であるとしてお城にお祀りしましたが、まだ世の中が治まっていないので、城のお堀の中に入れました。

時が過ぎ、戦国時代、紀州根来衆が岸和田城に攻め寄せてきました。紀州の多勢に対して無勢の岸和田、岸和田城は落城寸前となりました。その時、一人の白法師が現れ、敵をさんざん打ち負かしました。また同時に無数の蛸も現れて、毒気を相手に吹き込んだので、さしもの根来衆も退却しました。

戦いが終わった後、城主は白法師を探しましたが見つかりませんでした。ある夜、白法師が城主の枕元に立ち、地蔵菩薩の化身であることを告げました。城主がお堀の中を探したところ、地蔵菩薩像を発見しました。そして、城内にお堂を造り、そこにお祀りしました。しかし、城内では一般衆生がいつでもお参りできないので、江戸時代に天性寺に祀られることになりました。

以上が蛸地蔵菩薩像の縁起です。以下、散策記に戻ります。

山門から境内に入るとまず目に入るのが、立派な本堂です。後でお寺の方に教えて頂いたのですが、近くにある岸和田城を守る為にお寺がこの辺りに集められたそうで、天性寺は堂内に兵士が滞在できるように本堂が大きく造られたそうです。



境内には聖徳太子、観音菩薩、地蔵菩薩を祀るお堂もあり、それらを拝観していると本堂に上げて頂けるとのことで、堂内に上がらせて頂きました。堂内にはお前立ちのお地蔵様、蛸地蔵さんが天性寺に来られる前から祀られていた阿弥陀三尊像が安置されていました。

お茶の接待を受けながらお寺の方と話すと、お寺の方はタコを食べないそうです。また、祈願する人は一年または三年間、タコを食べずに信仰することになっているそうです。そして、本来は予約が必要な天性寺聖地蔵尊縁起絵巻の解説もして頂きました。絵巻の解説は上述した縁起の話を分かり易く説明したもので、とても為になりました。

また、お寺を訪れた時には体で感じることが大切だと話してくれました。お寺を訪れた時に眼だけを通して感じていれば、テレビやDVDなどでお寺の映像を見ているのとほとんど変わりません。

地蔵菩薩とは大地の仏様です。地を司る仏として、たくさんの土地に祀られています。
大地は宝の蔵であり、無尽の宝物を貯蔵して、それらを万物に恵み与え、また、万物の発育、成長、開花、結実せしめる偉大なる不可思議な力を与え給う。これが地蔵菩薩の恩徳であると案内書には書かれていました。

蛸地蔵天性寺では本当に良いお寺めぐりができました。下の画像は、お寺で掲げてあった絵馬に描かれていた蛸です。おそらく一つ一つが手書きだと思います。



南海電鉄蛸地蔵駅にある天性寺聖地蔵尊縁起絵巻を基にしたステンドグラスも紹介します。最初のステンドグラスでは白法師が活躍しています。次のステンドグラスでは蛸が根来衆と戦っています。いきなり、巨大な蛸が現れたら、天下に知られた根来衆でも退却するでしょう。




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