阿修羅がお釈迦様の説法を聞いて善神になった話はある本で読んだ記憶がありますが、詳細までは覚えていません。しかし、印象に残る話だったので大意は覚えていますから、それを書いてみます。

お釈迦様の元には説法を聞くため、毎日、多くの者が集まっていました。その中には阿修羅とその仲間もいました。しかし、彼らはお釈迦様の説法が核心の部分に入ろうとすると暴れ出し、いつも説法の邪魔をしていました。

「阿修羅を懲らしめてください」、多くの者がお釈迦様に頼みましたが、お釈迦様は説法を邪魔されても阿修羅を止めることはありませんでした。

ある日、お釈迦様の説法がかなり進んでも、阿修羅は仲間に暴れ始める合図を出しませんでした。仲間は阿修羅が合図を出すのを忘れていると思い、暴れ始めました。すると、阿修羅は暴れている仲間を止めました。

阿修羅はお釈迦様の説法が核心の部分に入ろうとする前に暴れ出していました。それには話をよく聞いていないといけません。よって、阿修羅は知らず知らずのうちにお釈迦様の説法を理解していったのです。そしてついに仏性がひらき、善神となったのです。お釈迦様は説法を邪魔されても阿修羅を止めなかったのは、こうなることを分かっていたからです。

以上が私の覚えている阿修羅が善神になった話です。

話は東京国立博物館の阿修羅展に戻ります。
阿修羅像はガラスケースなしで、360度、全ての方向から拝観できるようになっていました。
まずは右(向かって左)のお顔です。唇をかみしめたその表情は、お釈迦様の説法を聞き、はっと気づき、今までの悪行を後悔している瞬間の顔だと感じました。

次は左(向かって右)のお顔です。何かを決意したような迷いの無いその表情は、今からお釈迦様を守る善神になることを決意した瞬間の顔だと感じました。

最後が正面のお顔です。暴れ回っている仲間を止め、お釈迦様の正面に立った阿修羅。しかし、説法を聞きに来た他の者はいつも邪魔をしていた阿修羅を嫌っているでしょうし、お釈迦様も自分を受け入れてくれるかどうか分かりません。そのような中、ぎこちないながらも生まれて初めて合掌をし、少し不安な表情を浮かべながら、お釈迦様を見つめている。正面から阿修羅像を拝観して、そう感じました。
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