昨日、世田谷美術館で開催中の「平泉~みちのくの浄土~」展に行ってきました。世田谷美術館にはまだ訪れたことがなく、最寄り駅の東急線用賀駅から迷わずに到着できるか不安でしたが、平泉展の看板が要所要所にあり、迷わずに到着することができました。

まずは藤原清衡の中尊寺建立供養願文の中の一節が紹介されていました。それは、
「鐘の音がどこまでも響き渡り、官軍、蝦夷(エミシ)の別なく、犠牲になった鳥獣魚介の霊魂までもことごとく皆平等に浄土に往生できますように」
です。
上記の一節を知っただけでも、今回の展示に来た甲斐があったと思いました。これを知っているかそうでないかで、中尊寺を訪れた時に感じるものが違うと思います。

みちのくは、金、馬、北海の特産物に恵まれた土地で、それらの富を求める都と攻防を繰り返してきました。征夷大将軍の征夷とは蝦夷征伐であり、征夷を受け続けたみちのくの人々の気持ちが中尊寺建立に繋がったのです。

供養願文の次は金色堂西北壇上諸仏が展示されていました。それらは、阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)、六地蔵、持国天、増長天です。拝観していると金色堂を造った藤原三代の思いが伝わってくるようでした。

第一章の「みちのくの古代・みちのくの祈り」では、多くの仏像が展示されていました。成島毘沙門天堂の伝吉祥天立像は、頭上に象頭があり、とても珍しかったです。永泉寺の聖観音立像はお顔が特徴的でした。東北の仏像は東北らしい良い特徴があります。

中尊寺経も多数展示されていました。一行おきに金字と銀字で書かれた経典は素晴らしく、前を歩くだけでも功徳があるのではないかと思いました。

騎師文殊菩薩半跏像と四眷属立像も印象に残りました。騎師文殊五尊像は五台山の形式を写したものだそうです。五台山とは中国仏教第一の巡礼の霊山で、文殊菩薩の聖地として知られています。案内には平安時代作と書かれていましたが、色がとても綺麗に残っており、近世の作のようでした。

ちなみに五台山と平泉は同じ北緯39度にあり、共に世界遺産登録を目指しているそうです。どちらも世界遺産になって欲しいですね。

最後に図録を読んでいると、清衡がなぜ中尊寺という名前をつけたのかについて紹介されていました。清衡はみちのくを南北に貫く奥大道を整備し、南端の白川関から北端の外の浜(青森市付近)まで、一町毎に卒塔婆を立て並べたそうです。そして、その中央地点の丘陵の上に目印の塔を建て、中尊寺と名付けたそうです。つまり、中尊寺はみちのくの中央の尊い寺という意味だそうです。


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