山門から境内に入ると宝物館に入るための列が目に入りましたので、少し驚きました。平日なのですいていると思っていましたが、多くの人が極楽寺を訪れていました。列に並んでいる時、近くの人が「毎年4月8日に極楽寺に来ている」と話していました。きっと、そのような人が多いのだと思います。列の一番後ろに並ぶこと数分、拝観料500円を払って、宝物館に入りました。

山門
宝物館の真ん中に清涼寺式釈迦如来立像が祀られていました。本当に生きているようなお姿で、若々しい感じです。お釈迦様の誕生日にこのような素晴らしい仏像とお会いでき、嬉しかったです。清涼寺式釈迦如来立像の左右には十大弟子像が安置されており、その左右には釈迦如来坐像と不動明王像がありました。釈迦如来坐像は手の形が転法輪印になっており、珍しいです。
宝物館の後は本堂に上がりました。本堂には不動明王が祀られており、その脇に薬師如来と文殊菩薩が祀られていました。また、お堂の右には忍性菩薩像、左には真言律宗総本山西大寺中興の祖である興正菩薩像が祀られていました。極楽寺のお堂はいつも閉じられていますので、お堂に上がれたのは貴重な体験でした。本堂を出た後、お釈迦様の誕生仏に甘茶をかけ、誕生日を祝いました。また、甘茶の接待もありましたので、甘茶を頂きました。

誕生仏
極楽寺の奥の院にある忍性菩薩の墓所が開門されていますので、そちらに行きました。皆さんは忍性菩薩のことを知っているでしょうか。
浅草寺誌の4月号に大正大学の先生の話が掲載されていましたが、学生に「マザーテレサを知っているか」と聞くとほとんどの人が知っていると答えるそうです。しかし、同じような福祉事業を実践した忍性や行基は知らないと答えるそうです。
忍性は極楽寺でハンセン病の患者さん達の施療(せりょう)にあたったそうです。しかし、そういう取り組みは教科書などにも書かれていませんし、語られてもこなかったそうです。
確かに一般の人は忍性と言われても知らない人がほとんどでしょう。でも自国の偉人を知らないことは本当に悲しいことです。
忍性菩薩御廟は大きな五輪塔でした。墓所の周りには綺麗な野花が咲いており、忍性菩薩をしたって花が咲いているようでした。
この記事を読まれた方は是非、忍性という素晴らしい方がいたということを心の片隅にでも記憶しておいて欲しいと思います。
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