お茶を飲むということは日常のありふれた行為です。しかしその日常の行為が実は禅そのものなのです。お茶を飲むことだけではありません。ご飯を食べること、衣服を着ること、そうした日常の全てがそのまま禅なのです。
多忙な現代人は食事もお茶も他のことをしながらいただいて「ながら族」になりがちです。しかし何事も「ながら族」ではいけません。お茶を飲む時はお茶を飲むことだけに徹する。ご飯を食べる時も、衣服を着る時も、ただそのこと一つに徹して行うことによって、人生の受け止め方も違ってきます。
自分は回り道をしているとか、自分の本当の仕事は別にあるとか、何事も一時の腰掛けのつもりで手を抜いてやっていると、必ず悔いが残ります。しかし、どんな仕事であれ、その時に全力を尽くしてやったことは後で必ずプラスになって返ってくるものです。全力を尽くして取り組んでいる限り人生に無駄はない。
これが松原泰道さんが長い人生から得た持論だそうです。
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