自分の意志でこの世に生まれてきた人は一人もいない。人は皆、何か知らない力によってこの世に生み出されてくる。賜った命であり、人生である。
自分の体、自分の命は天地から借り受けたものである。天地から借り受けたものならば、粗末にせず、その価値を十分に発揮させ、時期がきたらお返しする。それこそが天地の心にかなう生き方であろう。
天地から賜った自分という人格を年とともに成熟させ、もっとも完熟した形で生を終える。そういう人生を歩みたいものである。
「神仏から喜んでもらえるほど心が育っているか。宇宙は限りないめぐみの海であり、狭い利己主義の目では見えない」
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何か大きな力によって、自分はこの世に生を賜り、今を生かされている。よって、その大きな力に日々感謝する。この行いは正しいです。しかし、それだけでは不十分ではないかと以前から感じていました。またそのような考えだけでは宿命論的存在になってしまうのではないかとも思っていました。
そのような時に上の文章を読み、我が意を得たりと思いました。賜った全てのものを努力することにより成長させる。それが大きな力の望む生き方。まさにそう思います。
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