昨年の話ですが、知多四国八十八ヶ所めぐりのお礼参りに名古屋市にある興正寺を訪れた時、興正寺が発行する八事山文庫十二月号が置いてありました。“社のコラム”というところに死刑制度に関する話が掲載されていたので、抜粋します。

宗教家の立場からすれば、たとえ凶悪な殺人者の命であっても、それを侵すことは断じて許されないと説く。生命は仏性そのものだからだ。

雑阿含経に殺人鬼「アングリマーラ」の説話がある。九十九人もの人々を殺したアングリマーラは釈迦と出会うことによって仏門に入る。釈迦はアングリマーラに街へ出て托鉢する修行を命じた。
街の人々はアングリマーラを見つけるや、石を投げつけ、衣服を引き裂き、報復として街中を引き吊り回した。挙句、自らの死を求めたアングリマーラに釈迦はこう諭す。
「自分が犯した悪業の報いをあなたは受けている。生きなさい。人から施しを受けて償いなさい」
アングリマーラはその生涯を懺悔の托鉢に行じ、多くの人々を救った。

客観的にしか述べられず恐縮だが、殺人者に対して死を以って責任をとらせることが、必ずしも罪を償うこととイコールではないのではないか。
皮肉かも知れないが、罪を償うには、まずは人間としての生きる幸福を知り、人並みの感覚に戻る必要があろう。でなければ死刑に処したところで、誰も救われない。

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死刑制度に関する話は難しいですが、私は多くの日本人と同じで死刑制度に賛成です。やはり、亡くなられた方のことを考えると殺人者は許せません。「全ての人に仏性がある」と私も思いますが、「現世で仏性を開花させることができない人がいる」というのも事実です。
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