本日(1/10)公開の映画「禅 ZEN」を見に行きました。「禅 ZEN」は日本曹洞宗の開祖である道元禅師の話です。とても良い映画でした。

映画を見て印象に残る箇所は人によってそれぞれでしょうが、私は「亡くなってから浄土へ行くのではなく、この世が浄土でなければならない」という旨の台詞が印象に残っていおり、それが映画における道元禅師の根本的な思いなのではないかと感じました。

我々は人は亡くなった後、極楽浄土、あるいは地獄へ行くなどと思っていますが、お釈迦様(釈尊)は死後のことについて何も述べていません。それは、死後の世界は誰も経験したことがないので、そのような経験したことのないものを議論するのは果てしがないからです。

「あるかどうか分からない極楽浄土へ行くことを願うよりも、今我々が生きているこの世界を浄土にしなければならない」という道元の思いを実現するにはどうすればいいのでしょうか。我々一人ひとりが仏になること、つまり一人ひとりが持っている仏性を花ひらかせることです。その為の坐禅だと思います。

「一人ひとりが仏になる」と聞くと難しいことのように思えてしまいます。しかし、基本は利他の気持ちを持つことです。映画の最後で小さな女の子が坐禅中に通常とは異なった印をしていましたが、それもりっぱな仏性の開花です(どのような印かは映画を見て下さい)。仏性が開花したと思っても、何もしないと花が枯れてしまいます。開花した後も努力を続けることが大切です。

「坐禅をする時間がない」という人もいるでしょう。「生活のすべてが禅の修業である」という旨の言葉があります。日常生活において、今すべきことを精一杯行う。このことにより、仏性を開かせることができると思います。
また「一人ひとりが仏になる」で大切なことは、まず自分が仏になることです。「誰か他の人が仏になるのを待つ」ではありません。

公開されている映画館の数はあまり多くありませんが、是非、見て貰いたい作品です。
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