本殿の御本尊は頼朝公の念持仏であった地蔵菩薩です。このお地蔵様は平清盛の母である池の禅尼が頼朝に渡したものです。池の禅尼は頼朝の助命を清盛に嘆願したことで知られています。地蔵菩薩像は秘仏であり、100年に1度の御開帳だそうです。前回は平成2年に御開帳したそうなので、拝観することは不可能でしょう。
地蔵菩薩が納められている厨子の扉には、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)が描かれているそうです。ご存じのように 矜羯羅童子、制多迦童子は不動明王の脇侍です。よってこの厨子には本来、不動明王が安置されていたと考えていたそうですが、信貴山に地蔵菩薩、矜羯羅童子、制多迦童子の三尊で祀られてたそうなので、地蔵菩薩と不動明王が一体となって信仰されていたのではないか考えられるそうです。
パンフレットに「尾張地方随一の祈祷寺」と書かれているように野間大坊は祈祷寺です。昔は世襲制ではないので、祈祷は本当に真剣勝負だったそうです。神通力がないと判断されると首を切られたそうです。徳川将軍には祈祷師がいましたが、将軍が亡くなると祈祷師は交代したそうです。その理由は、亡くなるのは祈祷師の延命の力がなくなったと判断されたからだそうです。
ご住職は祈祷寺は大変だけど、やりがいがあると言っていました。私はそれを聞いて、本当に神通力のあるご住職だからこそ言える言葉だと思いました。
来年にご住職が曼荼羅の本を出版するそうです。今までの曼荼羅の本は学者が書いた本がほとんどで、実際に祈祷している僧侶が書いたものは皆無に近いそうです。当日も曼荼羅に関して、色々教えて頂きました。本が出版されたら買おうと思いますし、ブログでも紹介するつもりです。
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