知多四国八十八ヶ所の話を書くと言っておきながら書いていませんでしたので、書きたいと思います。
今回の知多四国八十八ヶ所めぐりは野間大坊からスタートしました。野間大坊は前回の知多四国めぐりで訪れていますが、
・印象が良かったのでもう一度訪れたい
・絵解(えとき)があるので聞いてみたい
などの理由により、再度訪れました。

野間大坊に着く直前に「はりつけの松」という案内板があり、絵解きの予約時間まで少し時間があったので、まずはそちらに立ち寄りました。源頼朝が建久元年上洛の途中に野間に立ち寄り、父・義朝を殺した長田忠致、景致父子を捕らえ、磔に処したと伝えられている松です。長田父子の辞世は「ながらえし命ばかりは壱岐守 美濃尾張をばいまぞたまわり」です。松のある場所は高台になっており、そこから野間大坊からはっきり見えます。

お寺に入ると本殿内に案内されました。2枚の絵が掲げられており、その前で座って待っているとご住職が現れ、絵解きが始まりました。最初は昔風の語りで説明されましたので、「この調子で最後まで話されるのかな」と思いましたが、すぐに現代の言葉での説明になりました。

平治の乱における源義朝と平清盛の対立から始まり、義朝より先に暗殺される家臣・鎌田政家の最後、入浴中に襲撃され、無念の最後を遂げた義朝、義朝が殺害されたことを知った家来・渋谷金王丸の行動、頼朝が平家を滅ぼした後、はりつけの松の前で処刑される長田親子、野間大坊での義朝の盛大な供養などをわかり易く説明してくれました。

長田親子の辞世の句にある「美濃尾張」は、長田親子が義朝の首を平家に持参した時に褒美として美濃国と尾張国を所望したが貰えず、処刑される今、「美濃尾張 →みのおわり→身の終わり」を貰ったという意味になっています。

義朝の墓の近くに織田信孝の墓もあります。信孝の辞世「むかしより主をうつみの野間なれば むくいを待てや羽柴筑前」も義朝を討った長田親子の件、豊臣家の滅亡を知っていると非常に考えさせられるものがあります。

絵解を体験したのは今回が初めてですが、昔の人が楽しんでいた絵解を体験できたのは非常に良い経験になりました。
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