浅草寺誌12月号に掲載されていた鈴木永城さんの「浄波璃の鏡に映すわが姿」より

お経の中に「心馬悪道に馳せ、放逸にして禁制しがたし」とあります。
お釈迦様はもののたとえが非常に優れていますが、
 私という馬に、私という者が乗って、手綱さばきを上手くしなければどこに行ってしまうか分からない。コントロールがきかず、抑えがきかなくなってしまう。
ということを意味しています。

自分の心を制御する手綱をしっかりしておかないといけない。我が身に手綱を持つ、我が心に手綱を持つ。そこで、自分というものの個性がわかり、自分が自分に対してどういう手綱さばきをすれば自分らしく生きていけるのかが分かるようになります。

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「私という馬に私という者が乗って、自分自身を上手くコントロールすれば、自分らしく生きていける」という内容は、自分で自分の運命を創造していく“立命”と同じだと思いました。このように本質的に同じことを違う表現で知る度に、そのことの大切さ、必要性を再認識します。
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