話の内容は、
・袁氏は「人生は宿命によって定まっている」と結論づけていた。
・そのような袁氏を、禅師は「宿命に縛られている凡人だ」と一笑した。
・徳を積み重ねると人生(運命)を自分で創っていくこと(立命)ができると教えられ、袁氏はそれを実践した。
となっています。
まず、運命、宿命とは何でしょう。インターネットで調べるとほとんどのサイトで、宿命は「予め決められて変えられないもの」、運命は「自分の意志で変えていけるもの」と書かれています。
私なりの解釈を書くと、命とは、「誕生」と「死」を結ぶ道のようなものに例えることができると思います。
・宿命とは、「誕生」と「死」を結ぶ、予め定められている道。その経路は何があっても変化することはない。
・運命とは、自分の意思次第でその経路が変化する道。運命の初期状態は宿命と同じである。
・天命とは、自身が最も輝くことができる道。以前紹介した稲盛さんの方程式「人生・仕事の結果=情熱×能力×考え方」が最高値になる道。運命の理想状態であるとも言える。
・立命とは、運命を天命に積極的に近づけること。その為には、功徳や修養を積むことが必要である。
運命の初期状態は宿命と同じだと思います。ですので、学問修養しないと運命は宿命と同じままで、宿命的存在、言い換えれば、動物的存在、機械的存在として人生を過ごすことになります。
運命は自分の意思次第で変化させることができますが、功徳や修養を積む努力をしない限り、運命が宿命から大きく変わる、ましては天命になることはないでしょう。
運命と天命が一致しても、努力を怠るとそれらは直ぐに離れてしまう。
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