禅師は袁氏の返答を聞き、「何だ、そういうことか。それならば君は誠にくだらない人間だ」と大笑いしながら言い捨てた。

袁氏は驚き、その理由を聞くと、禅師は次のように答えた。
 人間の運命が初めから定まっているなら、釈迦や孔子はどうして苦労したのか。偉大な人が大変苦労をして学問修業をしたのは、それによって人間を創ることができるからだ。
 確かに命というものは存在する。しかし、人間はその命を知り、命を立てることができる。どうすればどうなるかを研究し、それによって自らを創造することができる。宿命や運命を立命に転換していくことができる。運命は我よりなすものなのだ。

袁氏はその言葉に目覚め、禅師の教えに従って、道徳的精進を積んでいった。すると老人の予言がことごとく外れだした。53歳で死ぬはずが74歳まで生き、一子をもうけることもできた。

袁氏は先達に学ぶことによって運命を変えた。我々が先達に学ぶ意味もここにある。
「人間は学問修業をしないと、宿命論的存在、つまり、動物的、機械的存在になってしまう。よく学問修業すると、自分で自分の運命を創っていくことができる」

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私の感想は次の記事で書きたいと思います。
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