10年程前、神田で夫婦の外国人が地図を眺めて困っている様子だった。尋ねると、九段にあるホテル「グランドハイツ」に行きたいのだという。
幸い私も同じ方面に用事があったので案内する事にした。このご夫婦、アイルランドの人でカソリック教徒である、イギリス人と何時も争いが絶えないと言う。
それだけではない、宗教を信じない人は“けだもの”同然だと意気撒いていた。そういえば動物の世界には宗教がない。
「ところであなたの宗教は何ですか」と言われ、とっさに「仏教です」と答えたが、正直な処、お釈迦様の教えについては何と答えて良いか解らない。
キリスト教の場合は聖書や賛美歌などが各国語に翻訳されて世界に普及しているが、日本の寺院にはその様な物がなく、経典も漢文のまま音読みされるから、何の意味なのなサッパリ解らない。
外国人から見ると日本人の行動は極めて理解しにくいらしい。
クリスマスパーティーが終わると除夜の鐘を聞いて年を越し、初詣は神社でも寺院でもこだわらない。七五三にはお宮詣で。結婚式は神式もあり、キリスト教会で行う人も多い。そしてお葬式は圧倒的に仏式が多い。
日本人はどの宗教を信じているのか理解出来ないのが当然だろう。
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後半部分の日本における宗教の雑居性と信仰心の薄さを嘆く意見は良く聞く話です。
では、このような意見を持つ方は、「私は仏教徒だから、神社には絶対行かない」のような世の中になって欲しいのでしょうか。「○○を信じているから△△には行かない」のような意見が広まると宗教対立が起こるのは目に見えています。
また心学という立場から見ると宗教の雑居性と信仰心の薄さは問題ないと思います。
例えば、七五三にはお宮詣するのは、「神道の信者である」がまず最初にあるのではなく、「子どもに幸せになって欲しい」という心が最初にあるのです。そのような心が最初にある時に、信仰する神社で七五三という子どもの幸せを願う行事をしているから、七五三参りをするとなるのです。
心学を知るまでは、日本における宗教の雑居性と信仰心の薄さを嘆く意見に対して、漠然とそうではないと思っていましたが、きちんとは反論できませんでした。しかし、心学を知ると、そのような雑居性に何の問題もないとはっきりと言えるようになりました。
また余談ですが、前半部分で、
アイルランド人が宗教を信じない人は“けだもの”同然だと意気撒き、それに対して、「そういえば動物の世界には宗教がない」と感想を述べていますが、明らかに意味を取り違えています。
アイルランド人が宗教を信じない人は“けだもの”だと言ったのは、このブログで何度も書いている
宗教を信じない人 = 道徳心のない人
という公式が、西欧人(キリスト教徒)の頭の中では成り立っているからです。
道徳心がないから、腹が立つとすぐに暴力をふるったり、最悪の場合には相手を殺したりする、まさに“けだもの”だと考えているのです。
一般の日本人は特定の宗教を信仰することはないが、心学により、道徳心のある行動ができると、海外の人に説明できるのでないでしょうか。
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