・普通の文明圏では、道徳の起源をたどっていくと、宗教を始めたような偉い人の教えからきている。キリスト教ではキリストの教え、仏教であれば釈迦の教え。そういうものになるべく近づこうというのが普通の道徳のあり方です。
梅岩先生の心学(石門心学)というのはそうではないのです。発想が逆で、人間には心があるというところから始まるんです。だから、心を磨くためには神学でも、儒教でも、仏教でも、何でも構わないと。世界の道徳の起源論を百八十度変えていると私は思うんです。
・一つのものに入れ込まない。それぞれの教えが熱心に信奉するけれども、信者にはならない。これは非常に独創的な発想法ですね。
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ある宗教を信仰する
↓
その教えに従い、道徳心のある行動をとる
というのが、一般の文明圏における道徳のあり方。
よって、宗教を信仰していることが重要となる。そのような価値観の人たちに「無宗教です」と言うと、「道徳心がありません」と言っていることと同じになる。
一方、
道徳心のある人になると決意する
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道徳心を向上させるものならば、神学でも、儒教でも、仏教でも、何でも構わないので学ぶ
↓
道徳心のある行動をとる
というのが、石門心学におけるあり方。よって、特定の宗教を信仰する必要がない。宗教を信仰しなくても、道徳心のある行動をとることができる。
になるのだと考えました。
上に書いた石門心学の考え方は、特定の宗教を信仰しないが、道徳心のある日本人と同じではないでしょうか。
キリスト教とイスラム教の対立などを見ていると、宗教の信仰を前提とした道徳心だけでは今の世の中、うまくいかなくなったと思います。
信じるものは何でも構わないし、あるいは無くてもいい。一人ひとりの心が重要であるという心学の考えが世界的に広まれば、世界は良い方向に変わるのではないかと思います。
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