以下は、冒頭の記事からです。
・王陽明は伝習録の中で「世に学を講ずる者に二あり」と二つのタイプを挙げている。
(1) 他から聞いた話を受け売りする者
(2) 実践を通して体得したものを説く者
・中江藤樹は学問を本物の学と偽の学に区分している。
心のけがれをきよめ、立派な人間になる。それが本物の学問というのである。
あの人は博学だといわれたいために学ぶのは偽の学問である。そういう人はだた自分の名声を高めたいだけで、勝っている人をねたむ。高慢の心が中心で、孝行も忠節も関心がなく、ただひたすら文学の暗誦や解釈ばかりにエネルギーを費やしているから、やればやるほど人間が悪くなる。
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よく「良き師との出会いは重要である」といいますが、良き師とは、実践を通して体得したものを教えてくれる人物のことをいうのだと思いました。
「なぜ、勉強しなければいけないのか」そう聞かれて、答えられない大人の方がいます。私は勉強する理由は、「勉強することで知識が増え、それによって人生をより豊かに生きることができるから」と考えていましたが、「心のけがれをきよめ、立派な人間になるため」というのも、シンプルで分かり易い理由だと思いました。
「あの人は博学だといわれたいために学ぶ」というのは「よい大学に入り、よい会社に入るためだけに勉強する」のと同じだと思いました。そのように勉強してきた者は、上述のように高慢の心が中心で、孝行、忠節に関心がない者になる可能性があります。そのような者が多いので、今の日本は少しおかしくなっているのではないでしょうか。
当たり前ですが、勉強は学生時代にのみやるものではありません。一生かけてやるものです。つまり、今からでも遅くはありません。私もですが、心のけがれをきよめ、自分という人間を少しでも立派に仕上げるために学び続けましょう。
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