3月4日、薩摩藩が祈祷寺としていた大黒寺を訪れるために近鉄丹波橋駅で下車。丹波橋駅で下車したのは初めてです。Googleマップを頼りに歩いていくと、問題なく到着しました。

まずは本堂で説明を受けました。江戸初期、薩摩藩邸が近くに置かれ、薩摩藩主である島津家の守り本尊である大黒天が祀られていたことから、1615年に藩の祈祷所となり、寺名も大黒寺となりました。

中央には閉じられた厨子があり、その中に秘仏の出世大黒天が祀られているそうです。像は60年に1度の御開帳で、次の御開帳は2044年とのことです。また江戸時代に直訴をした7人の伏見義民の遺髪塔もあり、去年の春に巡礼した都筑橘樹酉歳開帳地蔵菩薩霊場でも義民の話を聞いたので、江戸時代は悪政により死を覚悟して直訴をした義民が少なくはなかったのだろうと思いました。

次は会談の間に移動し、説明を受けました。西郷隆盛や大久保利通が会談を行ったとされる部屋で、実際に西郷隆盛が使っていたとされる筆と硯があり、それらは手に触れることができました。また島津久光が薩摩藩尊王派を始末した寺田屋事件で亡くなった九烈士のお墓もありました。九烈士は薩摩藩から見れば反逆者なので最初はきちんとしたお墓が作られませんでしたが、西郷隆盛がきちんとしたお墓にしたそうです。

寺田屋事件は幕末を扱った小説などに必ず取り上げられる話ですが、今回お墓を見て、物語上の話ではなく、実際にあった話なんだと改めて感じました。


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