阿部泰郎先生の「東国宗教世界の形成ー運慶仏の地平」という講演では、滝山寺の聖観音像にまつわる話が印象に残りました。

源頼朝は石橋山の合戦で、髻の中に念持仏である正観音像を入れていた。その正観音像は、乳母が清水寺で感得した二寸の銀の像であった。

滝山寺像は、観音、梵天、帝釈天の三尊形式で、これは二間観音と同じである。しかし、二間観音は宮中に祀られていたので、実際に拝観した人は少なく、観音像は、如意輪観音、あるいは十一面観音であると言う人もいた。

滝山寺の観音像には、源頼朝の歯、髪が納められており、頼朝自身を表していると言って良い。頼朝自身を表した観音像なので、如意輪観音、十一面観音でなく、頼朝が深く信仰した聖観音である。

また、最後の全体討論で阿部美香先生から、伊豆の走湯権現は三国伝来の由来があり(善光寺如来と一緒に日本に来た)、神道側から頼朝を神格化したものと考えることも可能であるという話がありました。

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源頼朝を仏教側で神格化した滝山寺の聖観音像、神道側から神格化した走湯権現の話はとても興味深かったです。源平から鎌倉初期の時代は歴史的にも好きですので、宗教を含め、この時代の色々なことをもっとも学びたいと思いました。
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