本日、横浜市立大学で開催されたシンポジウム「運慶と東国の宗教世界」を聴講してきました。本シンポジウムは、現在、金沢文庫で開催中の「運慶」特別展の関連事業で、私のような専門家でない人にも最新の研究成果を分かりやすく伝えるために開催されたものです(といっても、通常、金沢文庫で開催されている講座よりも難しいと思いました)。

最初の講演は、山本勉先生の「東国の運慶と京都・奈良」でした。以下、印象に残ったことです(理解不足により、内容に誤りがあるかもしれません)。

・今回の金沢文庫の運慶展の意義は、転法輪鈔と運慶造仏の関係を紹介したことで、1189年に鶴岡八幡宮寺の五重塔、1194年に永福寺に運慶が仏像を造ったと考えられるので、運慶の生涯を再構成できる。

・蓮華王院は1164年に後白河上皇の本願で創建され、中心堂の千手観音像は康助が作成した。つまり、この時点で後白河上皇と奈良仏師に関係があった。蓮華王院の五重塔には、康慶により造られた四体の大日如来像が祀られ、1177年に完成した。運慶が円成寺の大日如来を造ったのは1176年なので、蓮華王院五重塔と円成寺の大日如来は似ていたと考えられる。

円成寺の大日如来像とよく比較されるのは、康慶作の瑞林寺地蔵菩薩像ですが、存在していれば、蓮華王院五重塔の像と比較すべきなんだろうなと思いました。

・吾妻鑑に「八条高倉の土地を堂敷地として南無阿房に与える」という文章がある。南無阿房とは法然であると考えられてきたが、重源と考えることもできる。重源だとすると、造像を康慶に依頼し、運慶も像を造ったと考えられ、現在、六波羅蜜寺に祀られている地蔵菩薩坐像はその時の像だとも推測される。

時間が45分と短く、配布された資料も飛ばした箇所があったので、もっとじっくり話を聞く機会があれば良いなと思いました。
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