本日も金沢文庫を訪れ、月例講座「運慶と鎌倉幕府」(講師は瀬谷貴之さん)を聴講しました。非常に興味深い内容で、話を聞く前と後では展示の見方が大きく変わりました。以下、感想として、印象に残った内容を書きます。

現存している運慶仏だけでは運慶は語れない。失われた運慶仏に運慶の代表作があり、それらは運慶が鎌倉幕府と密接な関係があったので造られた。

(瀬谷さんが考える)現存する運慶三大代表作
・願成就院 阿弥陀如来像等
・東大寺南大門 金剛力士像
・興福寺北円堂 弥勒如来像等

幻の運慶三大代表作
・東大寺大仏殿諸像
・東寺南大門 金剛力士像
・鎌倉大倉薬師堂 十二神将像
何故、そう考えるかというと、模刻像の現存数からである。代表作(素晴らしい仏像)だから多くの模刻像が造られた。

鎌倉・永福寺諸像は建久3年から5年(1192-1194)に造られ、運慶最大の作品群と考えられる。今回展示している横須賀曹源寺の十二神将像は永福寺像の1/2の模刻である。十二神将像の中、巳神が最も立派で、願成就院像に似ている。きっと意味があるだろうと考え、巳歳生まれの重要人物を探していたが、これはという人物は見つからなかった。しかし、十二神将像は方位・時間を支配する仏ということで、時刻を調べた方がおられ、すぐに源実朝が巳の刻生まれであると分かった(実朝は元服も巳の刻に行っている)。永福寺の像は北条政子が安産に対すお礼として祀り、安産祈願をした曹源寺には模刻像が祀られた。

鎌倉の十二神将像に関しては、数年前に関連する話を聞き、それ以来、興味を持って拝観しています。巳神に特徴があるのは知っていましたが、それが実朝に由来するものだと今回の話で初めて知り、とても興味深かったです。

滝山寺の観音像の金具は明治時代に作り直されたと考えられてきた。しかし、永福寺跡の発掘作業で見つかった金具と滝山寺のものは非常に似ている。永福寺の金具は平成になって発見されたもので明治に同じものを造ることは無理なので、滝山寺の金具は造立当初のものと考えるのが妥当である。

講演会終了後、展示を見に行きました。まず最初に東大寺大仏様四天王像、東寺南大門仁王像、大倉薬師堂の十二神将像の模刻像が展示してあり、昨日、展示を見に行った時は、「金沢文庫は東京国立博物館ほど力が無いので、運慶仏をたくさん招致できず、模刻像を出しているのか」と思っていたのですが、講演を聞き、何故最初にこれらの像が展示してあるのかよく分かりました。

金沢文庫の運慶展、今回もお薦めの展示ですので、多くの人が訪れて欲しいと思います。
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